エッセイ『平将門』
令和4年9月21日
長男が自主勉強で保元の乱から鎌倉幕府ができるまでくらいのことを勉強するらしく、その手伝いをしようと思ったんですが、びっくりするくらいなんにも覚えてません。保元の乱って誰が乱れたんでしたっけ?保さんと元さん?いやいや保元は年号やったはず。とにかくまったく太刀打ちできません。曖昧な記憶を手繰り寄せてみると、どうやら、保元の乱というのは天皇家のお家騒動に端を発したもので、片方が島流しにされ、とんでもない怨霊になったんじゃなかったかしら。勝ったほうが白河だか後白河だかだったんじゃなかったかしら。と、曖昧な記憶を手繰り寄せても結局曖昧な記憶にしか成長しません。せめて自分が経験したことなら「あー!」とどこかで明晰になるんですが、残念ながら保元の乱の頃に私は生まれていません。
そうかと思うと今度は「平将門って何した人やった?」と聞かれ、これも全くわからない。生首になって東京から京都に飛んできた人じゃなかったかしら?というようなことを思い出すのですが、これまた実に曖昧な記憶。しかし、平将門については、もう少し確固たる記憶があり、「確か、桃鉄に『たいらのまさカード』っていうカードがあったはず!あのカードの効用を調べたら平将門のやったことと関わりがあるかもしれない!」と思い立ち、あろうことか、私は平将門の功績を調べるために「たいらのまさカード」の効用を調べたわけです。どうせググるならなぜ平将門をダイレクトに調べないのか、といえば、やっぱり、そこはそのまま調べてしまったら自主勉強の自主勉強たるゆえんが揺らいでしまうというものでして。
「たいらのまさカード」を調べてみたら、プレイヤー全員の持ち金を均等にするとかいうカードであり、なんのことはない、平将門の「平」にちなんでいるだけなのでした。これなら平清盛カードでも平忠盛でも重盛でも宗盛でも平幹二朗でも一緒やないかい。将門だから「まさカード」というダジャレになるという理由で将門が選ばれたにすぎず、その思い切りのよさに私は逆に拍手を送ったのでした。逆にな。