蟹座のデスマス調
令和3年3月28日の日記
今月頭から再び毎日何かしら書き綴るようにしてみたのですが、ここ数日、見事なまでにアクセス状況が悪くなりました。それなりに力を入れて書いているものが8人にしか届かないって悲しいものです。しかし、「響く人には響く」とタモリも言っていました。(記憶が曖昧なのでめちゃくちゃ端折りましたが要はそういうことを言ってました)それに人数は8人でも、1人1人の熱量でいえば、ナオトインティライミのドームクラス会場でのライブに匹敵するかもしれません。アクセス状況など気にせずに自分の記録ですから、自分のために書き綴っていきたいと思います。
とか何とか言いつつ、ひょっとしたら「◯◯だ」「◯◯である」って感じの書き方が鬱陶しいのかもしれないと思って今日から「ですます調」に変えたりしています。「デスマス調」って「デスマスク調」みたいで咄嗟に聖闘士星矢の蟹座の黄金聖闘士を思い浮かべてしまうのですが、デスマスクで検索したら1番上にくるのは聖闘士星矢ではありませんでした。
この4月から長男は小学5年生、次男はピカピカの1年生です。長男はあと何年かするとカピカピの思春期になるかもしれません。いや、長男のことは正直なところ、いまどんな感じなのかわからないのですが、パンツがカピカピだったりすることっていくつくらいが適齢期なんでしょうかね。
私が聖闘士星矢を見ていたくらいの年頃の彼らは何を見ているのかといえば、今日は「ダイの大冒険」を見ていましたし、最近は「ジョジョの奇妙な冒険」の第4部を見ていたし、「じゃりン子チエ」や「北斗の拳」を見ていることもありますから、この子たちは将来、大人になってから「世代」という括りで連むことができないのではないかと思うと、少しかわいそうな気がするのですが、かわいそうだと思うそのことがすでに前時代的腐った発想なのかもしれません。
多様性がさけばれるなか、性別でも世代でも地域性でもカテゴライズされることがなくなる子供たちにとって、拠り所となる場所っていったいどこにあるのかしらなんてことを考えてしまうのですが、いまの子供たちは、そういうカテゴライズ自体を馬鹿馬鹿しく禍々しく思うどころか、そういったものが「何故必要なのか」という根本的なところに疑問符が付くような、私から見たら実に逞しい生き方をしていくのでしょう。
同質で集まるのではなくて、異質で集まるのが当たり前になっているのです。「みんな違ってみんないい」とか「君は君、我は我也、されど仲良き」とか声高に主張せずとも、みんなそうして生きていくのです。ま、ま、ま、まぶしい。まぶしすぎる。
蟹座のデスマスクを思い出してる場合とちがいますな。
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