佐藤弘樹さんとの思い出
四条烏丸から百万遍方面行きのバスに乗ろうとしていたらちょうどバス停を3番のバスが発車したところでした。北白川まで行く途中、百万遍に停まるバスです。
タッチの差で乗れなかった人のために乗車口を開けてくれるような親切さは京都の市バスにはありません。そんなことをしだしたらキリがないでしょうし。
こういうときに次のバスが来るのを待つのは愚策です。四条通りを河原町方面へ走るバスであれば、次の四条高倉の停留所まで歩けばバスより早く着くので、そこから乗ればいいのです。
その昔、まだ私がお昼の生放送を担当していた頃、四条烏丸から四条河原町までバスで行くのと徒歩で行くのとどちらが早いか、DJの方と一緒に実験してみたことがありますが、歩いた私たちのほうが余裕で早く四条河原町に到着しました。当時、まだ四条通りの歩道拡幅工事前でさえ、歩行者のほうが早かったので、おそらく今も少なくとも四条河原町までならバスよりも徒歩のほうが早く行けるはずです。※もちろん時間帯による
毎年同じことを書いていますが、もう五年ほど前のこと。DJの佐藤弘樹さんが百万遍知恩寺の古本まつりへ行ったあと、やけに局内がざわついているから何事かと聞いてみると、このあと佐藤さんに来客があるのに佐藤さんの姿が見えず、電話しても出ないからどうしたものか、と関係者が騒いでいるのでした。
私は妙に嬉しくなり、佐藤さんを追いかけて百万遍の古本まつりへ向かいました。私が到着するまで、頼むから電話に気づかずにいてくれよ!と願いながら古本まつりの会場にたどり着くと、佐藤さんはすぐに見つかりました。バリトンボイスだけでなくその風貌も特徴的な人でした。
「なんだ、おまえも来たのか」
「いや、それはいいんですけど、弘樹さん、今日◯◯さんと局で会う約束やったんじゃないですか。皆さん弘樹さんのことを探してましたよ」
これを伝えたときの「しまった」という佐藤さんの顔はいまだに忘れられません。継投をミスった小久保監督でもあんな「しまった顔」はしません。普段めったなことでそんな顔を人には見せない佐藤さんだったから私はものすごく嬉しくなりました。電話に気づいてくれていなくてありがとう。
私に「しまった顔」を見せたあと、佐藤さんはすぐにスマートフォンを取り出し、おそらく相当慌てていたとは思いますが、それを気取られないよう細心の注意をはらいながら電話を掛け直し、しばらくして電話を切ったあと、「おまえ、腹は減っていないのか、ラーメンでも食いに行くか」と誘ってくださったのでした。
「え、でも◯◯さんとの打ち合わせはもういいんですか」
心配そうに聞いてみたけど私の声はおそらく半分笑っていたと思います。
「いま帰っても待たせることになるから時間を変えてもらった」
そうして我々は百万遍の近くにある北海道ラーメンのお店に入りました。思い返せばそれは佐藤さんがお亡くなりになる八ヶ月ほど前のことです。食欲旺盛な佐藤さんはラーメン大盛りチャーハンも大盛りを食べていたように記憶しています。ご馳走になる身でありながら、私もちゃっかりラーメンとチャーハンを大盛りにしました。
北海道出身の佐藤さんは北海道ラーメンにはうるさいらしく、麺をすすりながら「いやあ、北海道ラーメンなんて書いてあってこっちでまともに美味しかった試しがないんだけど、ここのは美味しいね」と感心しながら食べておられましたが、正直私はそこまでのものかな、と思っていたものでした。
結局、私が佐藤さんと二人で食事をしたのは後にも先にもあの一度きり。佐藤さんが約束を守っていたらその機会すらなかったわけですから不思議なものです。
コロナの時代を経て、今年もまたあのラーメン屋さんに食べにきました。もはや古本にはそう触手がのびなくなったのですが、それでも私は古本まつりの時期にあわせて佐藤さんが大絶賛したあの北海道ラーメンを食べ、それほどでもないな、佐藤さん、賢かったけど味覚はそれほどでもなかったな、などと謎に勝ち誇ってみるのです。
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