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餃子の王将鞍馬口店の思い出

趣味はオープンしたお店の1人目の客になることなので、たま〜に「閉店する店の最後の客にはならないんですか」と聞かれるのですが、歴史を閉じるお店のピリオドに居座るのは申し訳ない気がするのです。私がその店の最後の客に相応しい店など、どこにもありません。悲しいけれどそれは事実。

だから閉店するお店のことは、よほど思い入れが強くないと書かないほうがいいと思っているのですが、本日閉店してしまった餃子の王将鞍馬口店のことは、やっぱりどうしても書かずにはいられません。

大学を卒業してから4年ほど?でしょうか。出雲路橋西詰あたりの「グッピーハウス」というアパートに住んでおりました。将来のことが何も決まっておらず、学生時代にやっていたザ☆マジシャンズという、後年、◯心◯ラザーズの方に「絶対に売れるわけがない」と断言されたこともある名前のバンドを続けながらアルバイトしておりました。

苦学生という言葉がありますが、学生の頃は苦しいことなんてありませんでした。潤沢な仕送りがありましたから。しかし、そのありがたみなどわからずに「がんばれお好み焼き」で呑みまくっていたため、卒業の時点で貯蓄なんぞはなく、その後は修学旅行生のカバンを運ぶアルバイトをしていた運送会社には給料の前借りをお願いするような暮らしを送っていた私にとって、鞍馬口の王将はオアシスのような存在でした。オアシスって水じゃないんです。油なんです。

金は無い。しかし自炊は時間がかかるしめんどくさいし。っていう私にとって、餃子2人前とライス大盛りの「餃子定食」が600円足らずで食べられる鞍馬口店は最高のオアシスでした。ちょっと前に閉店した出町柳店も似たような雰囲気でしたが、私はあっちには馴染めませんでした。鞍馬口店のニヒルな雰囲気の店長のことが好きやったんです。

常連らしく、店長と仲良くなったとか、そういうことは一切無いし、仮に閉店日だった今日、食べに行ったとしても覚えておられることは無かったと思いますが、私にとっては、そういう距離感も素敵でした。ざらついてる店長でした。個人的には中日の監督になった立浪に似ていると思っていました。曲がったことは嫌いやけど、割と魂は簡単に売るような雰囲気もあり、世渡りは上手そうで、かといっておもろなかったらおもんないねん!という自我もありそうで、「餃子の王将」という看板をもてあそんでいたような雰囲気もありました。確かラー油も他の王将のものとは違うオリジナルなやつを作っていたと思います。

王将にはキレイな王将と汚い王将があり、私が大好きだった立命館大学近くにあった「ビートルズ王将」と並ぶ「二大汚い王将」が鞍馬口店でした。私は鞍馬口店で「餃子2人前とライス大盛り」の「餃子定食」を何度となく食いました。※私が勝手に餃子定食と言っているだけで確かそんな定食はなかった気がする。

あかん。
涙が止まらなくなってきました。あの頃の私といえば、バンドはやり続けてるけど、たぶん、こんなことしててもどうにもならんのやろうなーと心の片隅で諦めていながらもライブは楽しいし、仲間といる時間は面白いし、って結論を先延ばしにしながら、そういうクズな姿勢は当時付き合っていた彼女との関係にも共通していて、何をするにせよ、とにかく先のことを考えないようにしながら、生きていたクズみたいな生活が、それでも、あれはあれで楽しかったねと多少なりとも前向きに思い出せるのはひょっとしたら鞍馬口店のおかげかもしれないって思うんですよね。

あの頃に漠然と夢見ていた未来を間違いなく生きてはいない私ですが、それでも一緒に仕事していて面白い人と一緒に仕事をしていたり、新しい趣味や、生き甲斐を見つけていたり、しているわけで、あの頃、鞍馬口店で摂取しまくったニンニクのエネルギーの残りかすが今なお、私を突き動かしているのかもしれないのだとしたら、そろそろエネルギー補給しに行かないとあかんのと違うかなーってところで閉店してしまったら悲しすぎるやん。あかん、書きながら思った以上に泣いてしまってる。

昔の写真が無いから仕方なしに違う王将の餃子の写真を使ってますけど、鞍馬口店の餃子はもっとなんか、違ってたなー。思い出の場所が無くなるのは悲しいなー。

#令和3年11月30日  #コラム #日記 #エッセイ
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