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わたしの東京日記

 東京駅は大きい。駅だけで一つの街であるかのようだ。私は滋賀県湖北町の小さな集落出身なのであるが、東京駅はおそらく私の生まれた集落よりも大きい。
 京葉線のホームの遠いことときたら、先日車で連れていってもらった京北町への経路を思い出すほどであった。道標に従い「京葉線」に向かい歩くのであるが、いつまで経っても辿り着かない。地下もずいぶん深いところまで進んだ気がする。こんなところに本当にホームがあるのだろうか。それでも間違いないと信ずることができたのは、同じ方向へ進む人の多さゆえであり、むしろ私は、どうして斯様に大勢の人が京葉線へ向かうのかが不思議であった。
 山手線ホームから体感三十分ほど歩いて京葉線ホーム着。午前九時すぎだった。平日のこの時間に千葉方面へ行く人間がこれだけ多いのであるから東京という街はおそろしい、と花の都大東京に戦慄しておったところ、何やら浮ついた雰囲気の家族連れや付き合いたてとみられる男女、幾分きゃぴきゃぴしている女子の集まりなどが多いことに気付き、私は漸くディズニーリゾートの存在とこの京葉線の混雑具合をリンクさせることができた。
 舞浜という駅で降りるらしい。東京と冠しているのに千葉にあるということは知っていたにも拘らず、この人たちの目的地が其処であることに思いが至らなかったのだ。
 大勢の乗客であったが幸い席に座ることができ、宿泊用の着替えなどを詰めた鞄を地べたに置き、本やら何やらを入れてある鞄を膝に乗せて一息ついたところ、祖母と孫とみられる二人組がやってきて、「ちかちゃんが座ってね」と祖母が言うとちょこんと孫が私の隣に座ったものだから、私は立ち上がり、扉の上の路線図を確認するふりをした。十三まいりのあとの渡月橋と同じく、この場合は振り返ってはいけない。だから祖母が座ったかはわからない。
 ふりをするだけのつもりが初めて乗る路線ゆえ、見入ってしまった。

 可能な限り吊り革は両手でつかむ。痴漢の冤罪ほど怖いものはない。根が臆病であるがゆえ、心配の種は取り除いておきたい。そのくせ不用意な発言により己の立場を危うくせしめたり、誤解を招くような投稿をしたり、欲望に抗うことができなかったり、本能に理性が追いつかなくなる。齢を重ねるごとにそのようなことは少なくなってきたが、今より若い頃にはいけないこともたくさんあったと思う。芸能人や政治家が過去の発言や行いについて非難批判されるのを見るにつけ、「昔のことはええないか」と擁護したくなるのは自身の保身ゆえでもある。
 まもなく舞浜というところで海側を眺めてみるとテレビやネットで観たことのある西洋の宮殿風建築物が見える。晴れ渡る爽やかな秋空に映えている。こんなに駅直結のところに夢の国があるのかと驚く。通り過ぎるだけではもったいないと思ったら降車の波に抗う気もなくなり流れるままに降りてしまった。京葉線は蘇我行きであり、途中で武蔵野線に乗り換えなければ西船橋へは行けないため、どうせどこかで一旦下車はしなければならなかった。
 いったんホームで夢の国の外観を撮り、降車の波には置いていかれた。どのみち、改札の外には出られない。窓枠がミッキーマウスの顔の形になっている車体がピンクの列車が走っているのが見える。トイレだけ済ませようとエスカレーターを降りる。トイレの入口には、個室内で仮装用の変装や化粧はするんじゃないよ、と注意書きがなされていた。
 京葉線ばかりやってくる。武蔵野線が全然来ない。降車第三波を見送ったところで武蔵野線が到着した。夢の国をなんの感慨もなく通り過ぎる大人たちも別に目が死んでいるわけではない。それぞれに生きる目的があるに違いない。それは私のように地方紙を買うためだけに遠出をするというようなつまらなさであったとしても、夢の国なんぞ気にも留めずにいられる目的が、あるに違いないのだ。

 舞浜を出発した武蔵野線は東へ走る。おそらく東へ向かっている。路線図は時に方角や距離をおもいきり無視することがあるから実際のところはわからない。しばらく電車に揺られるらしいから、本でも読もうと鞄の中をがさごそ探す。大多数の乗客が舞浜で降りたから車内は閑散としている。ふと顔をあげると、車窓から太陽光の反射した海面が見える。乗客が多ければ今座っているロングシートの端の席からは見えなかったはずだ。舞浜駅まで気がつかなかったのはそのためだろう。
 折しも先日、サザンオールスターズ の茅ヶ崎ライブを観たばかりである。ここは湘南ではないが、この海はあの海と繋がっているし、伊豆の海にも繋がっている。伊豆の漁師の言葉で雁渡しというのがある。初秋から仲秋にかけて吹く北風のことで、この頃、雁が渡ってくることから雁渡しと呼ぶ。雁渡しが吹き出すと、潮も空も秋らしく青く澄むようになるという。すべて角川の俳句歳時記に書いてあった。
 目の前には澄み渡る青空の下、太陽光に海が煌めいている。雁渡しで一句できそうな気がした。新浦安駅あたりのことである。
 浦安といえば、水島新司の『球道くん』で中西球道の一家が住むことになった町のはず。現実の浦安を眺めるのは初めてであるが、豪腕で鳴らす球道くんが汚れたユニフォームで野球漬けの毎日を送っているところを想像し、ああ、この町であの野球少年は思春期を過ごしたのか、と思いを巡らせる頃には太陽光の乱反射した海は見えなくなっていて、代わりに合成樹脂などを作っていそうなコンビナートが現れた。建物の一棟一棟がでかい。スーパーマリオ3の巨大の国に来たかのようだ。土地の使い方が潔い。東京都心や京都市内は、ちんまりした町だと思う。京都なんて紅葉にしろ桜にしろ、こじんまりと上品すぎる。悪くはないが、山全体が真紅に染まるというような紅葉が観たいではないか。浦安のコンビナートはでかい。

 西船橋駅に下車するまで本は読まなかった。キラキラの海もアンドレ対馬場みたいなコンビナートも京都には無いから新鮮で、どれだけ眺めていても飽きない。本を読みすすめることはできなかったが、本好きの私でもこういう時にわざわざ読書はしない。
 西船橋駅はおもいのほか、大きな駅だった。東京駅とは比べるべくもないが、総武中央線、武蔵野線、京葉線、それに東京メトロ東西線と東葉高速鉄道も乗り入れており、都心と千葉各所を結ぶハブ駅になっているらしい。
 私の旅の目的は地方紙を買うことなので、改札の外に出るまでもなく、構内の売場で購入できればそれでよい。武蔵野線のホームに降り立ち、十分後、二十分後にも列車が到着することを確認し、エスカレーターで下へ降りる。このホームが地上何階に該当し、私は今から何階へ降りるのかはわからないが、とにかく屋外から屋内へ移動することにはなる。ハブ駅の割には人が少ない。人だらけの東京駅より気持ちいい。風が爽やかだと思うたび、「爽やか」は秋の季語だと実感する。
 エスカレーターを降りたところに東京駅でもよく見かけるNew Daysを発見する。東京駅のNew Daysは場所によっては信濃毎日新聞や新潟日報、上毛新聞、下野新聞などが売っており、地方紙の宝庫だから、見つけるたびに新聞置き場を探すのが癖になっている。
 西船橋のNew Daysにも新聞置き場があった。読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日経新聞、主要紙とスポーツ新聞、英字新聞しか無いNew Daysもあるが、西船橋のNew Daysには「千葉日報」があった!ブルマと悟空がドラゴンボールを見つけたときの気分。地方紙も地方紙レイダーがあればいいのに。
 一部手に取りレジへ向かうとスイーツを買おうとしているおっさんが店員さんに何か話しかけていて、店員さんは迷惑そうだった。あんなおっさんにならないようにしないといけない。

 千葉日報を買うだけで十分だったのだが、もう少し西船橋まで来た証が欲しかった。構内を歩いていると蕎麦屋があったので入ることにした。朝食を抜いているので十時過ぎには腹が減る。
 冷たいのは蕎麦、温かいのはうどんが好きだ。電車の待ちの時間でささっと口にするなら蕎麦のほうがいい。出汁が熱いと火傷してしまう。これまで何度となく火傷している。
 先日、大丸京都店のレストラン街にオープンした蕎麦屋のざる蕎麦が美味かったので、蕎麦の美味さが脳裏に残っていたこともあり、ざる蕎麦を食べることにした。ざる蕎麦の並盛りは大人の食欲を侮りがちであることを経験上知っているので大盛りにした。「ざる二枚」とオーダーを通された。
 カウンターの真ん中の席に座るとすぐに別の客が入ってきて、店員が「ざる二枚」とオーダーを通す。あの客がどういう客なのかはわからないのに同じものを注文していることに安心する。この店で「ざる二枚」を注文するのはおかしなことではないのだ、という安心感。あの客も私と同じく千葉日報を買うためだけに初めて西船橋にやってきたのかもしれないのに、自分以外の客は全員常連であるかのように錯覚してしまう。
 大丸の蕎麦屋のクオリティは求めていない。わさびを全部溶かした蕎麦つゆに大量の蕎麦を一気に浸し、べちょべちょにしたそれをズルズルと音速で喉の奥へとかきこむ。蕎麦というのはどこか上品さを漂わせる食い物であるが、あらん限りの下品さで流し込む背徳感が堪らない。
 ズルズルズルズル。私のズルズルとさっき「ざる二枚」を注文した客のズルズルが今一つになりグルーブを作り出す。バンドやろうぜ、と声を掛けそうになる。ついつい声を掛けざるを得ないのが、かけ蕎麦であり、ざる蕎麦なのだ。
 店員同士が何やら世間話に興じているのが聞こえてきたが内容は耳に入ってこず、語尾の「だよね」「だもんね」ばかり気になった私は関西人。

 西船橋駅から再び武蔵野線府中本町行きに乗る。路線図が正しい方角を示しているなら、新松戸までまっすぐ北上、吉川美南なる駅にかけてさらに北西へ進み、そこから西浦和まではひたすら西へ電車は走る。そこから府中本町にかけては概ね南下することになるのだが、西浦和の一駅手前、武蔵浦和で下車する私には関係がない。
 人はあまり乗っておらず、私はまたしてもロングシートのいちばん右端に座ることができた。先ほどと同じく、向こうに海を見る側のロングシートだが、北上するこの電車は海から遠ざかっていく。京都でもよく見かける大手レジトラン、回転寿司、スーパーマーケット、よくある国道、おとぎ話のタイトルみたいな名前のラブホテルなどが目に入り、たいした感慨もないのだが、そうした郊外を通り抜け、田圃道や雑然とした木々の緑が飛び込んでくると、それがどうにも微笑ましく、ついつい見惚れてしまう。そうかと思えば、軍隊のように整然と同じ傾斜の同じ屋根が建ち並ぶ区画が現れたりして飽きさせない。海側には海側の良さがあり、こちら側にはこちら側の風情がある。そこに優劣はない。
 何駅だったか忘れたが、新松戸までに、ずいるんとまだ席に余裕はあるはずなのに私とひと席分空けて座っていた女性の間に屈強な男性が尻をねじ込ませてきた。小柄な女性一人が入れるか入れないかくらいのスペースに無理やり押し込んできたため、端に座っていた私はさらに端に追いやられ、ずいぶんと窮屈になってしまった。なるべく体を触れたくないから足を閉じ、その男性との間に隙間を作るのだが、その隙間に男性は足を広げてきた。ああ、そういうタイプの男か。この男、どの駅で降りるんだろう。もう私は外の景色を楽しむ余裕を失ってしまった。と言っても、その余裕があったところで、反対側のロングシートも人がいっぱいになってきており、もう外の景色は見えにくくなっていた。武蔵浦和はまだ先だ。

 隣は足広げおじさん、向かい側も人が多くて外の景色が目に入らない。こういうときはスマートフォンでSNSやら何やらをチェックしたくなるのだが、左ポケットに入ってあるそれを取ろうとすると、どうしても足広げおじさんの右足に触れてしまいそうになるから取れない。足広げおじさんはスマートフォンでどうやらゲームをしているらしい。どうやら耳にはワイヤレスイヤホンを装着しているらしい。私調べによると、メガネ装着率とワイヤレスイヤホン装着率は今拮抗している。数年前、ペットの数で猫が犬を越えたらしいが、数年経てばワイヤレスイヤホンはメガネを越えるのではないか。
 ロングシートの右端にいる私の左隣は足広げおじさんに占拠されているから、自然私の意識は右の踊り場にいく。あの空間を踊り場というかどうかは知らないがあの空間を踊り場と表現する気持ちは汲んでいただけるんじゃないかと思う。
 寝るのはもったいない気がするが、寝ないで何があるといって、今の武蔵野線には何もない、というか、ありすぎて邪魔になっているから邪魔なものを全て遮断するには寝ないまでも目を閉じるしかない。それに、これまで足を踏み入れたことのない場所を移動している興奮のため、寝付くことは不可能に思われた。降車する武蔵浦和が終着駅ではないため、寝過ごしてはならぬという緊張感もあった。
 結果、私は一駅すぎるごとに踊り場の扉上部の路線図に目を遣りながら、目指す武蔵浦和に近づいていく電車の外観を想像することになった。
 南越谷の次が東川口で、その次が東浦和だ。
一見すると越谷の南側が川口の東側と隣接しているのか、と思うのだが、それならば果たして川口の東側と浦和の東側が隣接し得るのだろうか。越谷と川口と浦和はどういう位置関係になっているんだろうか。スマートフォンを広げられる環境になったら、埼玉の地図を検索しようと思ったのだが、まだ検索はしていない。

 景色を眺めることもできず、スマートフォンは取り出せない。こんな時は読書に限る。いつもなら電車のなかでは読書をしている。むしろ、電車のなかでは読書をするものだと思っていたくらいなのだが、舞浜から西船橋を経て武蔵浦和へ向かう間に私のルーティンは忘れ去られていた。鞄のなかには数冊の本を入れているというのに。読書好きの悪い癖で、どうやってもそんなに読めないであろう分量の本を旅のお供に連れていくのだが、結果、旅先では読書に勝る楽しみが現れてしまい、その数冊はついぞ鞄の外に出されないままに終わるのだ。それでも読書に勝る楽しみが現れない旅よりはいいのだと思う。
 買ったはいいが、まだ1ページも読めていない『文藝』秋号は分厚くて重いのにどうしてこんなものを持ってきたのだろうかと思うが、持っていきたくなるのだから仕方がない。どうせ読まないとわかっているのに持っていってしまう本に限って分厚くて重い。京都から東京へ持っていき、1ページも読まずに京都へ持って帰るという、この徒労は犯罪者への刑罰にさえなり得るのではないかと思うが、それを好んでやってしまう私のような人間もいる。いつか読むタイミングが来るからそのタイミングが訪れるまではなるべくいつでも読める場所に置いておきたいと思う。
 結局『文藝』秋号は鞄のなかから取り出さず、代わりに岩波文庫の高浜虚子『俳句への道』を読む。コンパクトな文庫本であるから電車のなかでも読みやすい。旅に連れていくのは本来、こういう本であるべきだ。
 ずいぶん昔に書かれたものの割には読みやすく、俳句には季語が必ず必要であり、最近は季語の無い俳句を作る連中がいるけれども、それはもはや俳句ではないから、どうぞ他所でやってくださいという強い意志を感じ取った。俳句は何より写実が大切であり、写実を繰り返すうち、その写実に自身の内面が投影されるとか、そのようなことが書いてあった。

 武蔵浦和駅に着いて、やることといえば、まず「埼玉新聞」を探すことである。地方紙を買うためにここまでやってきた。駅構内で購入できれば、わざわざ外に出る必要はない。
 下車してみると、武蔵浦和駅も西船橋駅に劣らぬ広さであり、どうやらここもそれなりにハブ駅であるらしい。帰りの新宿行きのホームを探すつもりだったが、それを見つける前にNew Daysが見つかった。余談であるがNew Daysを見るたび脳内にはアリシア・キーズのNew Dayが流れる。もう十年ほど前の曲かもしれないが、私はこの曲が好きで、京都でワイドの生放送を担当していた頃はよくオンエアしたものだ。超が三つつくくらいのカットアウトなのが気持ちいい曲である。
 アリシアを脳内再生しながらNew Daysに入るまでもなく、入口から少し出張ったところに新聞各紙が置いてあり、そのなかに埼玉新聞もあった。もう終わり?と拍子抜けするくらいであった。男女の交わりにおいて私はこの埼玉新聞のようにはなりたくないと思った。
 わざわざ千葉経由でやってきた埼玉でやらねばならないことをもう終えてしまった。「もう終わり?」それはネチネチと前戯に時間をかけながらいざとなったら八秒ほどで終わってしまう、というような呆気なさであり、私は散々曹操軍の武将を討ち取っておきたがら関羽に瞬殺された顔良の真っ二つにされた顔を思い浮かべた。顔良は名前の通りなかなかの男前であった。
 こうなると、もう少し何か武蔵浦和に爪痕を残したくなるものであり、さきほど西船橋駅で食ったばかりであるというのに、私は立ち食い蕎麦の店に入ることにした。
 店の名前は忘れたが、ざる蕎麦がざる蕎麦ではなく「せいろ」であった。「せいろ」が何なのか私にはわからない。バイオリンとヴィオラの違いのようなものなのか、あるいは新日と全日くらい違うのか。さっき食べたにも拘らず、大盛りを注文した。

 「せいろ」の大盛りを食べ終えるのも、これまたあっという間であった。立ち食いスタイルと冷たい蕎麦は実に相性がいい。電車が出発するまでの空いた時間にかきこむわけだから、本来、熱くてはならないはずで、熱々ならうどんがよいが、冷たいなら断然蕎麦である。埼玉新聞を見つけるのよりも呆気なく食べ終えてしまう。
 こうなると欲張りなもので、まだまだ欲求が収まらない。早く終わるというのは欲の落とし所に困るということなのだ。近頃の若い人たちは一点五倍速で映画を観たりするらしいが、若者たちも実は困っているのかもしれない。一度じっくり作品と向き合ってみたら、ぽっかり空いた穴を埋められるかもしれない。青春って密なんです。
 隣にあまり見たことのない書店があったから、何か一冊文庫本でも買ってブックカバーを手に入れることにした。書店ごとに異なるブックカバーを集めるのも私の趣味だ。ブックカバーが欲しいがためにさほど欲しいわけではない文庫本を買う。これが興味を拡げるのにちょうどよい。自分の趣味に任せて買い物すると自分の好きなものしか買わないから世界が広がりにくい。何か縛りを用意したうえで買い物をする。今回の場合はブックカバーを手に入れるという縛りがあり、そのために欲しくもない本を買う。縛りが設けられるということは、本来なら世界が狭まるはずなのに、結果、自分の知らなかった世界への扉が開くことになる。ぐぐっとしゃがみ込んでからその反動を利用してジャンプすることによって跳躍力が伸びるのと同じことなのかもしれない。
 駅構内の書店はラインナップにこだわりが特にあるわけでなく、売れ筋のものが置かれていることが多い。セレクトショップのような店ばかりでなく、こういう店も必要だ。
 杉井光さんの『世界でいちばん透きとおった物語』を買った。最近よく目にする話題の書である。須原屋という書店らしい。ブックカバーがかわいい。

 東京へ何しに来ているのか、といえば、仕事しに来ているのであり、決して地方紙を買うためではないのだが、本来の目的を忘れかけているのに気づき、驚く。十四時に笹塚にいればよいのだが、間に合わなさそうな時間になっていることに気づき、さらに驚く。こんな時に限って腹が痛くなり、トイレへ駆け込む。間違いなく西船橋と武蔵浦和で立て続けに冷たい蕎麦を食ったのが原因である。ほら見たことか、ざる蕎麦大盛り食べたすぐあとにセイロの大盛りなんか食べるからです!と先生に叱られた気がする。先生のおっしゃることは間違いなくセイロではなく正論です。
 なんとかお腹の中の容量を減らして、長い階段の上にあるホームへ駆け上がる。息切れするうえに日頃の運動不足がたたり、ふくらはぎが悲鳴をあげている。もう少しでブチっといってしまいそうなごろごろした感じをおわかりいただけるだろうか。これ以上は酷使してはならないと、ふくらはぎ本人がおっしゃっているあの感じ。しかし、私はこのあと、最後の一踏ん張りをふくらはぎに強いることになるのである。
 なんのことはない、上るホームを間違えたのだ。私が上ってきたホームの反対側のホームのアナウンスが、「間もなく十一時五十分発、新宿駅の列車が到着します」と告げており、この列車に乗っておかないと、余裕をもって笹塚へ行けない。猛然と階段を駆け下り、反対側のホームへ続く階段を今度は猛然と駆け上がりたいところなのだが、意志に足が追いついてこない。「これは夢だ」とわかった瞬間、大好きな女の子のところに走って行こうとするけど、全く足が動かなくて断念する夢を見たことのある人はいないだろうか。私は何度もある。あのやるせなさを思い出しながら、なんとか一段飛ばしで駆け上がる。
 階段があと十五段あったらおそらく出発には間に合わなかったし、そのうえ私のふくらはぎは、やられていたと思う。危ないところであった。

 東京日記といいながら、西船橋駅や武蔵浦和駅の話ばかり書いてしまった。無事に武蔵浦和駅で新宿行きの電車に乗り、あとは終点まで電車に揺られるばかり。幸い、座ることもできた。
 余談なのだが、私は電車に乗るとき、いつも思っていたのとは逆側から電車がホームにやってくる。方向感覚が音痴すぎるのだ。
 故郷が滋賀なのだが、京都から帰省する際、京都駅で電車を待っていると、いつもいつも思っているのと反対側から電車がやってくる。おかしいな、でも米原方面長浜行きと書いてあるからこれに乗るのは間違いないんだけどな、と思いながら電車に乗るのだが、ずっと本当に合っているのか半信半疑でいる。
 ところが、故郷が近づいてくると、ふと、「この方向で正しかったんだな」と確信する景色が現れ、その景色に出くわしたとたん、それまでの疑念が晴れ、方向は正しくなる。なんというか、私の脳内で進路がギュイン!と補正されるのだ。あの補正された瞬間の心地よさ、爽快感は、方向音痴であればこそ得られるものだ。あの感覚を味わえたときばかりは、方向音痴でよかったと心底思う。できる人には辿り着けない場所があるのだ。
 周りには賢い人がたくさんいて、私はいつもその賢い人たちにアホだバカだと呆れられる。実際にそうなのだから言われても仕方ないと思うが、しかし、賢いあなたたちには到底見ることのできない景色をこっちは見ているんですよ、この景色を見られないあなたたちって実は残念な人たちなんだねっていう勝ち誇ったような思いもある。
 これって「急がば回れ」ということなんだろうと思う。賢い人は合理的にものを考えるので回ることさえしないけど、私たちアホは賢くなろうともがくほどに遠回りをしてしまい、結果、たくさんの風景に出合うことができる。どちらがいいということはないが、こっちはこっちでそんなに悪いものでもない。
 ずいぶん遠回りして新宿に着いた。 

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