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私がすればロマンス、他人がすれば不倫

令和3年4月17日の日記
何年か前まで(いまもかもしれませんが)、やたら「日本語は美しい」という言い方が流行っている時期があり、正直なところ、私もその流れに乗っかっていたところがあるのですが、「日本語は美しい」などと、あたかも「日本語は他の言語と比べて美しい」かのように何の根拠もなく主張する姿勢が既に美しくないんですよね。「日本語は美しい」とどうしても書きたいのであれば、「日本語は美しい、英語は美しい、フランス語は美しい、中国語は美しい、ロシア語は美しい、世界に存在するあらゆる言語は美しい」とでも書かないといけないと思います。

去年から長男と中学生レベルの英語を一緒に勉強しているのと、個人ではハングルの基礎を勉強しているのですが、日本語だけが美しいという思い上がりは即座に改めなければならないと思いますし、別に英語もハングルも日本語も美しくもないしぶちゃいくでもないと思います。使う人の使い方が美しいかぶちゃいくかはあるかもしれませんが。

昨日、調子に乗って韓国の新聞「ソウル新聞」を読んでみたら、タイトルのところの「서울신문」が「ソウル新聞」と書いてあることがわかり、それだけでテンションが上がってしまいました。一年前の今頃は絶対に読めなかったものが読めていることに対する喜び。些細なことかもしれませんが、純粋な学びの欲求が達成されていることを実感しやすいのは、語学学習の大きな魅力の一つではないかと思います。非常にレベルの低い話だとはわかっていますが、それはあくまで他人が勝手に作り上げた「線」であり、私の語学学習には、なんら関わりのないものです。戦後、欧米諸国が勝手に作り上げたアフリカ諸国の国境線も、「あんたらが勝手に決めただけやないけ」と無視することができていたなら、よかったのかもしれませんね。強い人たちが勝手に作り上げた「線」によって勝手に他人をジャッジする、ということは、実に滑稽なことなのですが、世の中には当たり前のように勝手に線を刻んでくる人たちがたくさんいます。その「線」は恣意的である場合も多く、都度都度、強者の理屈により、「線」の解釈が変わってしまい、いつも弱者は振り回されてしまうのです。

「서울신문」は私には難しかったので、「서울신문」の四文字だけ読んだあとは「ソウル新聞」を読むことにしたのですが、そこに「ネロナムブル」という造語が紹介されていました。ハングルでは「내로남불」と書きます。「내가(私が)하면(すれば)로맨스(ロマンス), 남이(他人が)하면 (すれば)불륜(不倫)」を略して「내로남불」で、つまり、「ダブルスタンダード」のことを言うわけですが、強者が勝手に解釈を変更する厄介な「線」のことを考えていた矢先に、こんな新語に出会えるのは、なんということでしょう!!

多和田葉子さんが『言葉と歩く日記』のなかで書いている印象的なエピソードを思い出しました。多和田さんは、ある日、トーマス・オーバーレンダーさんという芸術監督に初めて遭った際、ふいに「坂口恭平さんの作品、知ってますか」と訊かれ、とても驚いたそうです。というのも、それを訊かれた一日前にたまたま坂口恭平さんの『独立国家のつくりかた』という本を読んでいたからです。その本は別の日に読んでもよかったのに、たまたま坂口恭平さんのことを訊かれる一日前に読んでいたわけです。「こういう出逢いは偶然ではなく、我々の頭上で思考たちが勝手に交流しているのだ」と数年前にエイズで命を失った多和田さんの友人が言っていたそうです。

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