エッセイ『書く依存』
令和4年9月26日
10月から忙しくなりそうで毎日更新ができなくなるかもしれないんですが、これが私の悪い癖で、しばらく続けたものを止めるということに非常に抵抗があるのです。誰に約束してるものでもないのですが、更新しないことがどうにも落ち着かない。
この性格を逆手にとって、それならスポーツジムにでもいき、毎日汗を流すことにでもすればいいのに、それはそれで続かないのだからわからないものです。しかし、ジムにしても、最初頑張って一ヶ月続けることができれば、行かないと落ち着かないという状況にもっていけるかもしれません。そこへ持っていくに至らないんですね。書くことについては、ジムほど面倒でもないし、基本私は書くことが好きですし、スマホさえあればどうとでもなるし、幸か不幸か、私の文章は誰にクオリティを求められているわけでもないから、とにかく書けばそれでよい。何文字書くとか、そういう縛りも無い。だから今日はこれでおしまいにすることだって出来るんですが、そういう手の抜き方には、それはそれで抵抗がある。
この際、酒でも呑んでしまえば何もかもどうでもよくなるんですが、その酒も近頃は呑むのをやめてソバーキュリアスっちゃってるので、酒に逃げるわけにもいきません。現状、水曜日だけお酒を呑む日と定めているのですが、不思議なもので、最近はせっかく他の6日間、呑まずにいるんだから、水曜日もお酒やめちゃえば?という誘惑が体の内からやってくる。必死で振り払って水曜日だけは酒を呑んでいるのですが、どうしてそんなに必死になっているのかというと、このままでは酒の席に誘われた時にさえ、ウーロン茶など注文してしまいそうになるからです。それなりにお酒が好きな人間として友人知人に認識されていますので、そんな勝手なことはやっぱりできない。だから、週に1日くらいは酒を呑んでおいたほうがよいのです。どんな理屈やねん、と自分でも思うのですが、事実そうなのであるから仕方がない。生きているとつくづく理屈なんて屁みたいなものだと思います。
コンコルド効果というのがあります。詳しいことは忘れましたが、外国で費用対効果が悪すぎるコンコルドっていう飛行機か何かを飛ばしていたんですが、さすがに割に合わんから止めようぜと主張する人たちの意見を聞かず「アホか、コンコルドちゃんにいくらかかっとると思ってんねん」と、うすうす割に合わないことをわかりつつ、コンコルドちゃんを使い続けた結果、赤字が膨らみ続けていったとか、そんな話だったと思うんですが、要は先行投資に金かけちゃったものは、使い物にならないとわかってもすぐには使うのを止められないもので、そういう心理的効果のことをコンコルド効果と呼ぶらしい。
私の場合は、費用は0円なんですが、それでもずるずる書くことを止められない。これはきっと私、書くことを拠り所にしちゃってるからなんだと思うんですよね。これを無くしちゃったら生きていけないくらい書くことに依存しちゃってる気がする。大好きなものでも、寄りかかってしまったらいけませんね。でも私、もう元には戻れないの。。コンコルド効果のくだり、別に必要なかったね。