短編小説『ペンは剣よりも』
「しかし、お食事券が配布されなかっただけでほんとに殺人なんてしますかね。しかも次期総理大臣なんて言われてる男がですよ」
自分の足で稼いだスクープとはいえ、週刊文秋ライターの高橋は信じられないとばかり、ひとりごちた。
殺人に手を染めたのは鈴木三郎。気候変動問題に関心があり、ポルトガルの環境活動家の少女との対談などにより、一躍、若者から注目を浴びる存在となったのだが、Twitterの投稿が政治家らしくなさすぎるとして、年長者からはしばしば批判の的となる。なんの脈絡もなく「かーんち!エックス二乗?」などとつぶやいていてはそれも無理はなかろうが、しかし、そういったところがまた若い世代の支持を集めているのだ。
その鈴木三郎が、あろうことか、秘書の左近寺宏道を殺害し、それを揉み消そうとしていることがわかってしまった。芸能ニュース専門で、日々、芸能人御用達のラブホテルを張っている高橋であるが、鈴木の事件を知ったのは「たまたま」である。不倫現場を撮影し、人気者の芸能人を奈落の底に突き落とすことだけが高橋の仕事ではない。例え、「たまたま」であっても手に入れたならば、是が非でも記事に仕上げ、世に正義の在り処を問わねばならない。
鈴木三郎は日頃から左近寺宏道の仕事ぶりに不満を抱いていたというが、その日は鈴木が前々から楽しみにしていたマリオットホテルのディナーのお食事券を、左近寺が手持ちの10枚全て関係者に配布してしまったことでプチっと何かがキレたらしい。汚職事件ではなく、お食事券による現職の政治家のスキャンダルはおそらく国政史上初めてのことである。
高橋は次週の文秋に載せるべく、ピッチをあげてペンを走らせていたのだが、この間、最寄りのコンビニへ行くたびに猛スピードの車に轢かれそうになるし、非通知の着信が増えたし、不審な郵便物が頻繁に届くようになった。原因は明らかであったが、高橋にはジャーナリストとしての気骨がある。このような嫌がらせに屈するわけにはいかない。高橋は家に籠り、スマホの電源を切り、何も食べず、眠りもせず、ひたすらにペンを走らせ続けたが、不覚にも寝落ちしてしまい、目を覚ますと包丁を持った黒ずくめの男に抱きかかえられていた。
「どうやって入ったかなんて聞くんじゃないよ。あんたの好きな、たまたまなんでね。要件はわかるな。記事を消してもらおう」
「そんなことをしても無駄なことだ。ぼ、ぼ、僕は、これでもジャーナリストの端くれだ。ペンは剣には屈しないぞ」
「うふふ、タダでとは言わん。最近碌に美味いものも食べてないんだろう。おまえなんぞ、一生行くことのできない高級ホテルで一生の思い出を作ってこいよ」
「く、く、くそう!悔しい!でもな!これだけは忘れるな!ぼ、ぼ、僕は、その剣に屈したんじゃない!その券に負けただけだからな!」
高橋は空腹に負け、ペンは券に負けた。
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