葛藤保持力
涌井慎です。趣味は新聞各紙のコラムを読むことです。今日は成人の日。各紙コラムもそれにちなんだ大人の言葉が散りばめられておりました。京都新聞『凡語』に載っていたのは、谷川俊太郎さんの詩「成人の日に」からの引用。以下括弧内それを引用。「成人とは人に成ること もしそうなら 私たちはみな日々成人の日を生きている」
そういえば、今年は改正民法が4月に施行され、18歳が「成人」になるんですね。これは読売新聞『編集手帳』に書いていました。となると、今年の成人の日はどういう感じになるのかしら?というわけで「成人の日」で検索してみたら、1月7日の「河北新報」の記事がヒットしました。記事のタイトルは「「18歳成人」ご存じでしたか? 今年は3学年が一気に成人の仲間入り」とはいえ、「成人の日」はどうなのかといえば、「法律の決まりはなく、各自治体の判断で実施している。成人の日の前後に20歳を対象にしている自治体が多いようだ。」とのことです。なんかいろいろややこしい。個人的には20歳でも早いと思う。自分はどうだろうかと考えてみると、40歳でようやく一人前になれたような気がするくらいですから。18歳で大人扱いなんて今の若者は大変だ。
『編集手帳』にも谷川俊太郎さんの詩が引用されていたので以下括弧内それを引用。「三才 私に過去はなかった 五才 私の過去は昨日まで 七才 私の過去はちょんまげまで 十一才 私の過去は恐竜まで 十四才 私の過去は教科書どおり 十六才 私は過去の無限をこわごわみつめ 十八才 私は時の何かを知らない」
四十二才の私だって時の何かを知らない。知らないことだらけ。過去の恥ずべき経験各種は知らないことにしておきたい。大人になるというのはそうやって恥を上塗りして「あかんこと」の線引きをしていくことの繰り返しなのではないかと思う。近頃は「あかんこと」に対して世の中が厳しすぎる。一度の「あかんこと」が決定的欠陥となり、人生の落伍者の烙印を押されてしまう。犯罪を容認しろと言っているわけではない。そういう話をしているのではない。「あかんこと」と「そうでないこと」の間で繰り返し繰り返し試行錯誤しながらようやく大人になれたかなと思えるのが私の場合は四十才くらいだった気がする。「不惑」と言われる齢になってようやくスタートラインに立てた程度。あんまり偉そうなこと言わずにおきたい。
『編集手帳』には河合隼雄さんの言葉も引用されておりました。いわく大人の条件とは「葛藤保持力」だと。記事によると「真剣に悩んだり迷ったりすることが大事」なのだといいます。これこそまさに「あかんこと」と「そうでないこと」の間を揺れ動いてきた私のことではないかと思い、これまでのクズみたいな人生を肯定されたような気がした。肯定はしてないにせよ、少なくとも否定されていないことで救われたような気がしました。
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