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昨晩は久しぶりに酒を呑んだ。
昼間に見た『サンセット・サンライズ』に
とにかく美味そうな海の幸が出てきて、
菅田将暉や中村雅俊が缶ビールを呑みながらそれを食うシーンを見たら、
呑みたくてたまらなくなったのである。
感化されやすいのは俺の長所だと思っている。
先日長塚京三主演の『敵』を見終えたあとは、
とにかく「丁寧な暮らし」がしたいと思い、
以来、自分なりに「丁寧な暮らし」を心がけている。
昨日の俺と今日の俺と明日の俺では中身が違うのが俺という人間である。
せっかく外から影響を受けて変われる機会があるのに
自分に固執して変わらないのは
成長を自ら止めていることになるのではないか。
変わらない人はつまらないと思う。
変わらない人は、どこか、自分のほうが上にいると思っている節がある。
だから成長がないように見える。
っていうことを最近新聞で読んだな・・と思い調べてみたら、あった。
おとといの朝日新聞「天声人語」。
「やっぱり不完全であるというのはいいなって。
生きていくうえで、不完全だから進もうと出来る」
アメリカの野球殿堂入りを果たしたイチローが、
選考の投票で満票に一つ足りなかったことを問われた際の答えである。
常にそういう意識で進んだからこそ、偉業を成し遂げたのにちがいない。
自分にそんな真似ができるとは思っていないが、
だからといって変わらなくていいことはないと思う。
俺は以前から不惑なんてくそくらえ、死ぬ間際まで惑ってやるんだ、
人生のピークは死ぬ間際なんだ、と言っているが、
イチローの言っていることはつまりそういうことではないか。
あの天才打者と同じことを考えている・・というのは普通にうれしい。
変わることを拒み、周囲を自分に合わさせるのに慣れてしまった中年は、
あまりかっこいいものではないうえに、
周りから「あの人はああいう人だから」とあきらめられてしまうから、
もう誰にも止めようがないし、自分でそれに気づくこともできない。
そうならないようにしないといけない。
しかし、ただ感化されやすいだけの自分をここまで美化していいものか、
自分を正当化するために周囲をこんなに否定していいものか、
ああ、生きるというのはずっとこうして「問い」を抱えることなのだ。
そう、「問い」があるうちは人は変われる、成長できる。
「問い」がある人生は面白い。
「問い」は人生を楽しむための「Toy(おもちゃ)」でもあるのだ。