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エッセイ『英語を話す力』
ミンミンカナカナツクツクボウシ、言わずとしれたセミの鳴き声ですが、実際はミンミンともカナカナともツクツクボウシとも鳴いていない。無理やりカタカナにしようとするからおかしくなる。かといってセミの鳴き声用の文字は無いし、それ用に新しく文字を作ろうという機運も盛り上がらないし、そうと思って聞いたらそうと聞こえるから別にいいじゃないかと思ったりもする。こんな耳で英語のLとRを聞き分けたりVとかthを上手く発音したりするのは無理なんじゃないかと思う。
俵万智さんがわが子に詠んだ一首が産経新聞『産経抄』に載っていました。
RとL聞き分けられぬ耳でよし日本語をまずおまえに贈る
『産経抄』によると中学3年生が英語に手を焼いているらしく、全国学力テストでは特に「話す」の不成績が目についたらしい。「レジ袋と環境」などについて、考えや理由を述べる設問は正答率が4.2%だったとのこと。いやいや、そんなもん、日本語で答えるのも難しいやろ。
a「レジ袋を有料にしたところで環境の改善なんかにつながるかいアホ」
b「レジ袋を使わないこと自体は些細なことでそれが直接環境改善に影響を与えることはないかもしれないが日常生活において環境問題を自分ごととして考えるきっかけとするには悪いことではないと思う」
僕はどちらかといえば、bに近い考え方ですが、いざ、英語で回答しなさいと言われたら、たぶんaで答えると思います。明らかにaのほうが英語に変換しやすそうですからね。
bを英訳できればいちばんいいんですが、自分の英語力でそれが難しいから、本意では無いけれども英訳をしやすいaで回答を作り、結果、高得点を取れたとして、それは果たして、このテストへの向き合い方として正解なのか、出題者側はそのことについて、どんな風に考えているのか、っていうのは結構大事なことなんじゃないかと思うんですが、どんなもんでしょう。
蠱惑暇(こわくいとま)