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エッセイ『ビールの楽しみ方の流儀』
趣味は新聞各紙のコラムを読むことです。
ビールの美味い季節、産経新聞『産経抄』には往年のおじいちゃんたちの楽しみ方の流儀が紹介されていました。
「まだ残っているうちに注ぎ足してしまう。これは愚の骨頂で、一番ビールをまずくする」池波正太郎
「ビールは大壜より小壜の方がうまい」北大路魯山人
これを言ったのが何歳頃のことだったかわかりませんが、いかにもおじいちゃんの言いそうな金言でございます。お二人のようなビッグネームになるには、あらゆる物事に対して一家言無いといけないのかもしれませんが、それはビッグネームだからこそ許されるという側面もある。
何故にそう思うかといえば、「おまえ、その人生で何を成し遂げてきてオレにそんなに偉そうにしてくるの?」って具合の御仁に偉そうに「ざるそばはまずツユも何も付けずに食うもんだよ」とか「博多はラーメンじゃなくてうどんなんだよ」とか「上方の落語なんて面白くない」とか、ああだこうだ言われるのは時に耐え難いほどに苦痛だったりする。
要は、その人が僕よりも偉いと思ってるからそういうことを恥ずかしげもなしにやれてしまうわけで、そりゃあ、あなた、社会的立場でいえば確かにあなたのほうが偉いですけどもね、そうだからといって「人間」としてあなたのほうが僕より偉いなんていう理屈にはならないわけだよ。何を話しても愛想笑いしかしようが無い立場の人に何を話ししたところで、いったいその人に何の実りがあるというのだろう。
ビールの話に戻ります。まだ残っているうちに注ぎ足してどの程度まずくなるのか、大壜より小壜の方がどの程度美味いのか。例えばそれが1と1.1程度の違いなのに食通であるが故にその微差に腹が立って仕方ないのだとしたら、僕はそんな差はわからない方が楽でいいと思ってしまう。だから僕は凡人なのだろうし、だから僕は実りない会話に巻き込まれがちなのだろうな。
蠱惑暇(こわくいとま)
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