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頂法寺ってどこやねん

涌井慎です。趣味はお寺で自撮りすることです。渉成園や上徳寺など、今年は正式名称より通称のほうが親しまれているところへよく行きました。渉成園はお寺ではないのかな。なんにせよ東本願寺の飛地境内地で枳殻亭という通称のほうが有名です。上徳寺はよつぎ地蔵の名のほうがよく知られています。

今年驚いたことの一つがタクシーで「渉成園までお願いします」と運転手さんに伝えたら全く伝わらなかったのに「枳殻亭まで」と言ったら「あー、はいはい」とすぐに伝わったことでした。「渉成園」が正式名称だとしても伝わらなければどうにもなりません。人と人のコミュニケーションは全て「正しいか正しくないか」が問題なのではなく、「伝わるか伝わらないか」が大切なのだと思います。国家間の交渉事にも同じことがいえるのではないかしら。正論を振りかざせばそれでよい世界じゃないから大変です。こっちの正論があっちでは非常識極まりなかったりもする。

頂法寺へ行ってきましたって書くとそれどこの寺?という感想が普通だと思います。頂法寺は六角堂の正式名称です。職場のある烏丸四条あたりから歩いていけるお寺です。私調べでは六角堂か仏光寺か、どちらかが烏丸四条から一番近いお寺だと思うんですが、ひょっとするともっと近いところに別のお寺があるかもしれません。そのくらい、京都は至るところにお寺があります。セブンイレブンとローソンを足してもお寺の数に及ばないのではないかしら。

本堂が六角形をしているから六角堂と呼ばれるようになったらしいですが、参拝する私たちからしてみたら、別に空からお参りするわけではないので、本堂がどんな形かなんてあまり気になりませんし、実際に参拝してもあの本堂が六角形だといわれてもそんなにピンと来ないんですが、そういうピンと来ない事実が通称の決め手になっているのが面白いな〜といつも思うのです。

六角堂には「わが思う心のうちは六の角ただ円かれと祈るなりけり」という御詠歌があります。御詠歌というのは、仏様の教えを和歌調にしたものです。御詠歌にある「六の角」は、人間にある六つの感覚のことで「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」「触覚」「意識」の六つ。「六根」ともいわれ、煩悩や苦しみの原因とされています。この「六根」を断ち切り、心身が清らかになることを「六根清浄」といいます。六角堂の六角形はどうやら、この御詠歌に詠まれている六根清浄の願いを込めた形らしい。

つまり、六角堂という通称は本堂が六角形であることから付けられたのではなく、御詠歌の六つ角、六根清浄の精神から六角堂という通称が付いたと考えるほうが自然なのではないかしら。

それにしても「六根」ときたら全部生きる喜びにも通じるものですし、人ってつくづく煩悩の塊なんですね。この際、六角といわず、あらゆる欲望に塗れまくって千五百角形くらいになったほうが円に近づける気がする。

#令和3年12月26日  #コラム #日記 #エッセイ
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