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地獄へ道づれやでしかし

令和3年5月17日の日記
今日は雨だったので職場へは歩いていきました。年々、反射神経の劣化を自覚しており、自転車通勤がいよいよ厳しいのではないか、と考えているのと、運動不足の解消の一助として徒歩通勤を活用してみようか、という思いとを雨足が後押ししました。

何年か前、友人が「自転車をもっと大切に扱え」と憤っておりました。どういうことか、といいますと、歩行者、自転車、車の三者のうち、「一歩め」に最もカロリーを費やすのは自転車であるというのです。確かに車のドライバーも歩行者も「一歩め」を踏み出す際のカロリーなんておそらくほぼゼロに近いでしょう。ところが自転車はペダルをぐいっと前に押すためには、そこそこカロリーが必要であり、勢いづくまでの助走にも時間がかかります。それだのに、道路では車が強者の理屈を振りかざして、そこのけそこのけ車が通るとばかりに乱暴な運転をするし(そんな車ばかりではないけど)、歩行者は歩行者で「私たちがいちばん非力なんですからもっとあなたたちは私たちに気を使うべきです」と弱者の理論で自転車を押さえ込もうとするのです。

強者からも弱者からも「わきまえなさい」と言われる自転車こそが、実はいちばん、初動に費やす力が大きく、いちばん気遣われてしかるべきなのに、現実は厳しいということに我が友人は憤っていたのであります。

確かに小狡いところもあり、普段は車道を進むくせに、信号が赤になったら、途端に歩行者の立場に鞍替えして横断歩道を渡ってみたり、都合の良いように解釈をねじ曲げてある時は車側に、ある時は歩行者側に付く、それはまるで風見鶏なのでありますから、その狡賢さゆえに肝心な「ここぞ」の時に、車にも歩行者にもそっぽをむかれてしまうのかもしれません。

今日は徒歩で帰宅しておりますと、途中の看板に「柵の内側は歩道です。歩行者の安全のため、自転車の通行はご遠慮ください」と書かれておりました。しかし、この看板の掲げてある道路は車道が狭くて、自転車が通っていると、車はその自転車を追い抜けないから、後ろからクラクションをプッププップと鳴らしてきよるんです。そうなると、私も気が小さい男ですから、なんとかして車を通してあげたいと思うのですが、歩道には来てくれるなよと書いてあるから、非常に困る。あっちを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず。どないせえっちゅーねん!!!

たかが自転車、されど自転車。
歩行者にも車にも、仲間はずれにされ、行き場を失った自転車を、今日の私のように、あきらめてしまえば事は簡単なのでしょうけど、しかし、声の大きい人間の声がまかり通り、少数の爪弾き者はいつもあきらめさせられる世の中が果たして健全といえるのでしょうか。わかりやすい弱者にだけ光があたり、少数の爪弾き者は相手にされず、妥協を強制されるような世の中が果たして民主的といえるのでしょうか。

私は自転車のことも尊重される社会がいい。
歩行者も自転車も車も、それぞれがそれぞれの立場を汲んで、お互い様の精神で、ええ塩梅にやっていける社会がいい。どなたかに、そんな社会を築いてほしいのですけれど、残念ながら、こんな少数の望みを相手にしていても選挙には勝てないんですよね。ほんと、どうにかならないものかしらね。

そういえば近頃はママチャリ乗って庶民アピールしながら選挙活動する人もいなくなりましたね。いまこそ、あれをやってくれたら、身をもって爪弾き者の気持ちを知ってもらえそうなんですが。あ、そうか、選挙を戦ううえで、それは必要ないのか。悲しい。悲しすぎる。それではお聴きください。Queenで「バイシクルレース」と言いたいところやけど「地獄へ道づれ」じゃ、あほっ!!

#令和3年5月17日
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