映画『ストックホルム・ケース』
誘拐事件や監禁事件などの被害者が、
犯人と共に過ごすことで、
犯人に好意的感情を抱いてしまう心理現象を
「ストックホルム症候群」といいます。
どうしてそう呼ぶのかというと、
ストックホルムで実際に起こった
銀行強盗事件において、
人質の女性が、犯人に対して、
「あれ?私、ひょっとしてこの人のこと、
あれ?あれあれ!?」っていう気持ちに
なってしまったことに由来します。
ほんまにそんなことあるんかいな?
というのが一般的な反応だと思うのですが、
これが実話なのですから、
世の中何が起こるかわからないものです。
舞台はスウェーデン、ストックホルム。
自分のことを「ならず者」という、
ラースはアメリカ人風の扮装をして、
銀行強盗を実行します。
まだ幼い女の子をもつビアンカほか、
2人を人質に取ったラースは、
まず、仲間で刑務所に入れられている
グンナーを釈放させることに成功し、
続けて人質と交換に
金と逃亡用の車を要求。
グンナーと逃走するつもりでしたが、
警察は2人を銀行に
閉じ込める作戦に出ます。
報道陣も押し寄せ現場は騒然とするなか、
人質のビアンカたちは、
煮え切らない態度の警察や政府よりも、
緊張を共有するラースとの間に
奇妙な連帯を感じるようになっていきます。
犯人を主役に据えた映画ですから、
犯人の人物像が、
好ましいものとして描かれるのは当然として
それでも被害者が
犯人に思いを寄せるようになる、
という、本来なら考えられない状況に、
納得させられてしまうのは、
イーサン・ホークの
演技力の賜物なのでしょうか。
犯人を英雄のように描く代わりに
警察や首相ら体制側を対照的に
なによりも大人の事情を優先する、
小汚い悪党のように描いているのですが、
普段我々が、どちらかといえば、
どちらの生き方をしているのかといえば、
それは明白なわけであり、
日常、空気を読んだり、
偉い人に愛想笑いしたりしている
自分のことを
嘲笑われているような気もしました。
それにしても、
突然銃声が聞こえるのは体に悪い。
極限状態におかれたときに、
自分は果たして「面子」とか、
「忖度」とか、生きていくうえで、
本来なら必要のないものを
なんの未練もなく捨て去ったうえで、
英雄的行動がとれるのだろうか。
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