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怒ってる人たち
昨日は怒ってる人とばかり話しました。
いろんな人のいろんな怒りに触れましたけど、昨日怒ってた人たちが何に怒っていたか、といえば、全員共通していて、「自分が大切にしていることを軽くみられていること」に怒っておりました。
中には怒り過ぎて怒りの矛先がおかしくなり、本来味方であるはずの人に対してまで怒りをぶつけてしまい、そのことによって怒りをぶつけられた側が怒る、というおかしなことも起こりましたが、基本的にはみんなの怒りの根源にあるのは全て、「自分が大切にしていることを軽くみられていること」だったように思います。
私はこういう怒りはあってしかるべき怒りであると思う。怒りにはあってしかるべき怒りとそうではない怒りがある。
そうではない怒りはどこまでも自分本位です。会社の決まりは置いておいて私と仕事を一緒にするんだったら私のやり方に従いなさいというような、それに従わなければ怒るというような、こういうハラスメントの匂いがぷんぷんする怒りは本当に嫌いです。
とにかく責任を負うのが嫌で、それを回避するために責任転嫁のために立場の弱い人間を槍玉にあげるときの怒りなども「そうではない怒り」といえる。
昨日、怒っていた人たちの怒りは全てそういう「そうではない怒り」ではありませんでした。自らの仕事に対して誇りをもっているからこそ、その尊厳を踏み躙られたままでいられるかい!という反骨の怒りです。
世の中には他人のことを見下していて、自分が正しいことは間違いないから、この正しい私の思う通りに動けないのなら、それはその人が悪いのだ、とでも考えているかのように他人が大切にしていることに対する想像力の欠けている人がいます。前述した、怒りが自分本位でしかないのがこのタイプです。
昨日怒っていた人のうちの一人は上記のタイプの仕事相手に怒っていました。それはまっとうな怒りだと思う。
まっとうな怒りはエンジンにすればいいし、いくらでも周りにぶちまければいい。
いまはまっとうではない怒りがまっとうな怒りと混同され、力の強い人たちのそれがさもまっとうな怒りであるかのように拡散され、支持されてしまう危なっかしい世の中になってしまっている気がする。
怒りの根源が何で怒りの矛先がどこにあるのか、見失わぬよう、まっとうな怒りを生きる原動力にしていきたい。
これ以上書くとこの文章の行き先を見失ってしまいそうなのでこのくらいでおしまい。
いつも読んでくださる皆様、ありがとうございます。
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だいこんのはなの看板ロボ
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