短編小説『帰りの自転車』
自転車での帰り道。僕は左側通行のほぼ徐行で移動していた。人通りは少ないし、心地よい風が吹いているし、問題あるまいと思い、マスクはずらしてアゴに掛けていた。僕はアゴが出ているから掛けるのにちょうどよかった。数年前まではアゴのことをよくいじられたものだが、ここ数年、それはめっきり減った。マスクで見えなくなる前から減っていた。見た目をいじることが世の中でタブーになりはじめていたと思う。僕はコミュニケーションの手段として、このアゴがあるおかげでいろいろ助かっていたから、そういう人間に対しては現状維持でいいのにと思っていたが、それももう随分昔のことになった。
商店街の入口付近で自転車のおっさんとすれ違い、おっさんはウレタンのマスクをしていたのだが、僕とすれ違うなり、おもいきり睨みつけたうえで聞こえみよがしに舌打ちした。ああやって日頃のストレスを発散させているのだと思うと心の底から鼻で笑ってやりたくなり、こっちも聞こえみよがしに「ふふん!」とやってやると、キキー!とブレーキ音が聞こえ、「ちょっと待てこらーー!」とヤクザのようながなり声が聞こえた。僕はこれまでにヤクザの声を聞いたことがないから、ヤクザのような、というのは完全にヤクザに対して僕が抱いている勝手なイメージに過ぎないから気を悪くするヤクザもいるかもしれないが、おそらく多くのヤクザはそういうパブリックイメージに諦念があり、かつ、そのうえで逆にその悪いイメージを利用してやろうというくらいには狡猾なイメージもあるから、その頭の良さを考慮に入れると、実は「ちょっと待てこらーー!」という、さきほど聞こえたおっさんの声は実はあまりヤクザっぽく無いのかもしれない。
僕は夢中で逃げた。必死に自転車を漕いだ。漕いで漕いで漕ぎまくった。左側通行は守った。商店街を東から西へ、漕いで漕いで漕ぎまくっていると、南東角のファミリーマート
を通り過ぎたところ、北上して右折しようとする若者の自転車に危うくぶつかりそうになった。若者は左側通行する僕の通り道に向けて曲がってきたものだから急ブレーキを踏んだ。若者があまりにも涼しげな顔をしているものだから僕は聞こえみよがしに舌打ちをしてやると、若者はこれまた僕に聞こえるようにか知らないが、実に大きく「ふふん」と鼻で笑いやがったので、僕は振り向きざま、「ちょっと待てこらーー!!!」とがなり立ててやった。ヤクザみたいだと思った。
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何割か実話です。
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