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エッセイ『NG事項の多い人』

 知人に麺つゆを認めない人がいる。例えばテレビの料理番組で何かしら手の込んだものを作る際、麺つゆを使っているのを見るだけで嫌悪感を示す。何をそんなに、と思う剣幕で怒っているのだ。理由はわからないが、察するに「そんなものは邪道だ」という意識があるのだと思う。

 これはダメ、あれはダメ、とNG事項の多い人生は疲れる。別にその知人がダメだと言っているのではないが、もっと許してしまえば楽なのにと思う。その知人のタチが悪いのは、自分が麺つゆを使わなければそれでいいものを、他人が麺つゆを使うことに対してめくじらをお立てになられるところである。何をするにおいても自分がまず正しく、そうでない他者を全て否定的に捉える。そんな人生は疲れると思う。現にその知人はよくため息をついている。

 かく言う私もNG事項はたくさんある。まず、麺つゆを使うことを否定することはNGである。このように考えると他人のNG事項を美しとしなければしないほど、自分のNG事項も存在するということになる。誰が何をNGにしているからといって「いかがなものか」などとご意見してみる姿勢は結局、あれはダメこれもダメと言っている人と本質的には変わらないのではないかと思う。

 ただ、これについては、実は私の中にもう答えは出ている。いくらNG事項が多くてもそれがなんら気にならない人もいれば、細かいことが逐一気に入らない人もいる。要するに、これは相手の問題ではなく、私がその相手のことを好きか嫌いかでしかないのである。

 好きな人であれば、何がどうであっても許せるし、嫌いな人であれば、ボランティアや寄付などをしていても鼻白むだけだったりする。その人のことを嫌いなだけで何か大切なことを言っていても聞く耳を持てなかったりする。これはすごくもったいないことだと思うから、なるべく人のことは好きになりたいと思うが、嫌いなものは仕方ないとも思う。

蠱惑暇(こわくいとま)

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