大上段上等!『バニシング・ポイント 4Kデジタルリマスター版』
嫌いじゃない
1971年公開の"伝説"とされるアメリカン・ニューシネマ。
「の枠を超えた」と自己申告しちゃっているから、正確にはアメリカン・ニューシネマではないのか。
昨今の映画、と言わず映像コンテンツの情報量の多さとスピード感に慣れた現代人の目で見ると、控えめに言って、全体的に退屈を感じるのは否めないが、この絶妙な塩梅の退屈、嫌いじゃない。
また、広げた風呂敷を畳まない、言葉を変えれば伏線を全然回収しない展開も、見終えた時に妙な余韻を残す一因となり、嫌いじゃない。
無限の自由へと跳躍した男の魂の旅、って?
頭に残る数々の「?」を紐解くべく、鑑賞後に劇場で購入した冊子「アメリカン・ニューシネマの世界 特集『バニシング・ポイント』」は、本作単体のパンフではないものの、パラパラと頁をめくるだけで、編集者、そして執筆者の本作に対する愛情と思い入れ、気合いの入り様を感じることができ、とても好きだ。1,200円分以上の価値は十分にありそうだ。これからゆっくりと読み込ませてもらおう。
冊子をめくり、目に飛び込んでくる惹句はこんな風だ。
公開当時も、こうした宣伝文句に惹かれて見に行った映画青年が数多くいたことだろう。そして見終えた時、首を捻っては「これは深い・・・のか」と口をつぐんだことだろう。
本作を何の事前情報も入れずに見た多くの人には、私の次の意見に賛同いただけるのではないだろうか。
つまり、「・・・それ、言い過ぎ!」
もしくは「そのポエジーな表現力、すげえな!」
本作が教えてくれる大切なこと
もしあなたが謙虚な人間ならば、ポスターやパンフに踊る惹句のように感じられなかった自分を疑うかもしれないが、断言する。
その必要はない。
その上で大切なのは、本作が「映画」というものの本質的な楽しみを教えてくれているという事実ではないだろうか。私の考えるそれとはつまり、解釈の余白を埋めようと、深読みも含め制作者の意図を読み取ろうと思いを巡らせる行為や、他者と感想を交換することで生まれる豊穣な時間に他ならない。
逆に言うと、私の考えに同意しない人からすれば、本作ほど意味不明で退屈極まりない映画はあるまい。
断りは蛇足かと思うが、私の考えが唯一の正解だと言うつもりは毛頭ない。
結論
こうしたハッタリも含めて『バニシング・ポイント』、嫌いじゃない。
というよりか、はっきり言ってかなり好きの部類。
Kowalskiを拝借
そういうわけで、noteを始めるにあたって登録したユーザーネームは、その直前に観た本作の主人公の名前にあやかって「Kowalski」を冠することにした、という次第。
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