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蛇女とオタクくん

 高校の入学式当日の朝、私は長くてボサボサの黒髪を剃った。

 陰鬱な中学時代とおさらばしたかった私。
 起きてすぐに洗面所に駆け込んで、三面鏡の前でクセ毛を少しでも長髪にするべくブローしていた。
 本当はストパーをしたかったけれど、小遣いが足りなかったので諦めるしかなかった。
 ふと、ドライヤーの電源を切って鏡を見る。
 なぜだろう。何だかこの毛の集合体が、私から生えているのが気持ち悪くなってきた。
今まで感じた負の感情の集合体が、髪一本一本に宿っているこの感じ。
 あ、そうだ。剃っちゃえばいいんじゃないか。
 私は父が使っているバリカンを手に取る。それを生まれて初めて頭髪に当てた。
 毛を容赦なく自身から落としていく。重い鎖りのようだった、自慢でも何でもない黒い髪。
それはまるで、私が消し去りたかった過去の残骸に思えた。
 躊躇なくどんどん刈り取っていくと、どんどん自分が生まれ変わっていく気がする。
「亜佐美ー、朝ご飯冷めちゃうわ……キャーッ!」
 母が洗面所に顔を出すと同時に、顔を真っ青に染めて叫んだ口のまま固まる。
「お母さん。どう、似合ってる?」
 鏡越しに母に笑いかける。その顔は、自分でも思うくらい晴れやかだった。

ーー☆ーー

「亜佐美、本当にその頭で行くのか?」
 父が心配そうに私の顔を見る。私はもちろん、と力強く頷いた。
「ああ……亜佐美、どうして……」
 うわごとのように呟く母は、現実から目を背けたいと顔に書いてある。
「大丈夫。私、すっきりしてるの」
 ニカッと笑ってみせる。けれど両親共々眉尻を下げて、顔色がかなり悪い。
 けれど本当に、これで良かったと思っている。
「じゃあ、行ってきます」
 私は制服のリボンを整え、鞄を背負うとドアを開けた。
 春の陽気と、桜の花びらが私を歓迎したように感じる、そんな入学式の朝だった。

ーー★ーー

 学校に着くと、私の頭を見ていろんなことをいう人がいた。
「ね、あいつ見た? 不良じゃん」
「ねーねーあの子、中学でいじめられてた奴じゃん。なんか病んでんじゃね?」
 ……うーん、同級生からはウケが悪いようだ。
 すれ違った男の子に「ヘビみてーな女」と言われた。
 ヘビか。うん、確かにそうかも。髪を剃ると分かったけど、私って意外と目つき悪いし。
 まあ、しょうがないよね。私が気に入ってるんだし、いいじゃん。
 そう思っていると、生徒指導の先生が目の前に現れる。
 あ、この人のこの反応。
「おい、お前。校則違反だぞ」
 先生にまで目を付けられたか、めんどくさい。でも、ちゃんと対策は通学路で考えた。
「校則ですか。えと、確か『女子は前髪が眉毛にかからないくらいの長さで。髪が長い場合は黒のヘアゴムなどで束ねること。髪を染めることは認められない』でしたっけ」
 生徒指導の先生は眉間にしわを寄せて、不快そうに「そうだ」と唸った。
「不良のまねごとだか何だか知らないが、校則はちゃんと守ってもらうぞ」
 筋肉質な腕を組んで、私を威圧してくる。このクセは変わらないなあ。
 不穏な空気を察知して、何人かが私たちの見物をしだした。
「えと、それって不可能ですよね? 私、見ての通り髪がないんですが。
染めるも何もないですし、束ねられないですし。前髪もありませんよ?
……それとも、ウィッグをかぶった状態で校則通りにしないと、いけませんか?」
 男性教師は私が言い返すと思っていなかったのか、男性教師は困惑と理解に苦しむ表情を浮かべた。
 誰かが「おい、あいつあんなやつだったっけ?」とか何とか言っていた。
「お前……本当に『芳根亜佐美』なのか?」
 男性教師は私の顔を覗き込む。
「はい、そうですよ。ご無沙汰してます『日野おじさん』」
 男性教師、もとい親戚の日野おじさんは頭髪が薄い頭をバリバリかいて、舌打ちをしてきびすを返す。
 周りの野次馬の生徒が、おおーとか何とか言っていた。
 私はフン、と鼻を鳴らす。
 真面目でおとなしい、いじめられっ子の『芳根亜佐美』という役は、もう降りたいのだ。

ーー☆ーー

「高校生にもなると、帰るまでにいろんな駅でウィンドウショッピングができて、嬉しいなあ」
 私は鼻歌交じりになりながら、県内の主要な駅をぶらつく。
辺りは人、人、人だらけ。皆忙しそうに移動しているから、私の呟きなんて誰も気にしない。
 ――まあ、買い物に付き合ってくれる友達は一人も出来なかったけど。
 なんてこころの中でぼやきながら、ぶらついている。
 そうすると
「……えーと、ここ。なんのお店だっけ?」
 中学時代、クラスの何人かが目の前の店のロゴが入ったポイントカードを持っていたような。
 ちょっと興味あるし、入ってみようっと。

「うっわー……!」
 いたる所に、様々なキャラクターがひしめいていた。
 長身のイケメンキャラ。
 かわいいマスコットのようなキャラ。
 いわゆる萌え系な女の子もいる。
 なんだここ。
 漫画もライトノベルもたくさんあるし、今流行っている推し活に関するアイテムもたくさん。
 何だかそわそわしてきて、店の中を見て回っていると――
「え、何これっ」
 目の前には、私が小さいときに見ていた魔法少女のグッズが沢山置かれていた。
「きゃっ、何!
『三人はファンシー! 魔法少女りりっく♪』じゃん!
 うそ。復刻版グッズ!? 限定フィギュア!? モチーフアクリルキーホルダー!? 何それ!」
 興奮して一人できゃあきゃあしていると、背後から沢山の物が落ちる音がした。
 振り向くと、瓶底眼鏡をかけた男の子がわなわな震えていた。
 わずかに腕から落ち損ねたそれは、魔法少女りりっくのグッズだった。
「よ、よよよヨシネアサミ……! こ、ここここれ以上魔法少女りりっく♪ の三人に近づくな……! ゆゆゆゆっ許さんぞ……っ!」
 あれ、この声のうわずり方、知ってる。確か、同じクラスの――
「……正木くん?」
「ひぃ! ななな何でぼぼぼボクの名前をっ」
 あ、抱えているグッズが残りひとつになってしまった。正木くんは慌てふためきながら落ちたグッズを拾うと近くにあった買い物カゴに入れ、また私に向き直った。
 正木くん。中学の時からビビりで気が小さいことで有名だったので、記憶に残っていた男子だ。
 ただ、あちらは私のことを今日初めて知ったようだ。生徒指導の日比谷おじさんとの一件で、私を認知したらしい。
「そそそその魔法少女達を汚すことがあればっぼぼぼボクは、ゆるさないぞっ」
「え、違うけど」
「ななな何をい……え?」
 意外な反応だったようで、正木くんはぽかんと口を開けたままこちらを見ている。
「いや、あのね。私、小さいときから『三人はファンシー! 魔法少女りりっく♪』好きだから。グッズ売ってるの知らなかったから、何個か買おうと思っただけ」
「……は?」
 正木くんは脱力して、膝を床に付く。眼鏡がずり落ちそうになりながら
「なんでえ……?」
 と間抜けな声を出した。
「だって私、りりっくの世代だし、ドンピシャだし」
「はええ~……あのヘビ女がどうしてえ~」
 正木くんは魂をどこかに飛ばしてしまったかのか、返答に力がなくなってしまった。
「あのね、正木くん。私、今までこのお店に来たことなかったけど、ポイントカード会員になるし。りりっくのグッズ沢山買うし。それだけだよ」
 私は棚にあった、りりっくのアクリルキーホルダー……これは中身が見えない仕様みたいだけど、三個ほど左手に握る。ついでに、復刻版グッズの変身ステッキも、一つ握った。
「じゃあね」
 私はこれ以上彼に付き合う気はなかったので、さっさとレジに向かった。

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