見出し画像

幕間 青い瞳の少女は、今日も海の夢を見る

 朝。ベッドから起きると同時に、一番海がよく見える窓まで駆けていく。
小さな手で開けた窓の隙間から、海の香りを嗅いだ。朝日に温められた潮の香りが、鼻から通って私の頭に朝を告げる。
 朝食を運んできたメイドに怒られて、渋々窓を閉める。海には行ってはダメですよ、今日はナントカの予定があるので早めに召し上がってくださいね。とブツブツ文句を言われながら、私は運ばれてきた食べものを喉へと押し込む。
 でも、朝食と身支度の間は、私が空想の中の海へと飛び込める時間だ。
 海の味とはほど遠い朝食を食べながら潮風に身を委ねるのを想像し、身支度の間に海に漂う魚たちに思いを馳せる。
 けれどそうこうしているうちに、非常に退屈で、不愉快な社交場に放り出されるのだった。
 ウワサや疑念、嫉妬、恨み、歪んだ羨望――そんなものが渦巻く、退屈で不愉快な場所。
「……侯爵は……なさった。大変嘆かわしいことだ。しかし……」
「あのご令嬢は……で大変素晴らしい。だが……という……噂が絶えないとう話だ」
「あの方、とても……ですわ。ああ、……になりたい」

 くだらない。くだらなくて、退屈だ。
 富も名声も、息絶えて土の中に埋まってしまえば、みんな一緒なのに。
 ただ骨と灰になり、朽ちていくだけなのに。

 太陽や月が海に反射して、水面に揺れる姿。星空が綺麗だとそれらも海に映り、美しい鏡のようになる。その様は、孤独な私を受け入れてくれる、唯一の存在。
 私はこっそり屋敷から抜け出して、屋敷の側の海へと駆けだした。ドレスや靴が汚れようが、関係なかった。
 岸辺まで来ると、装飾が趣味ではない窮屈な靴を脱いで、海水に足を浸した。潮風を吸い込んで、息を吐く。
 ああ、このまま海に飛び込んでしまいたいくらいだ。
そうしてしまえば、海水はこのドレスに染み渡り、やがてはこの身を縛る重りになって、私を海の底へと誘うだろう。
 海の底に楽園があるとは思わない。それはただのおとぎ話だ。
 でも、私は生まれるなら陸の上ではなく、海の中で生まれたかった。
「そんなところで、何をしているんだい?」
 思わず陸の方を振り返る。けれど、そこには誰もいなかった。でも――声は海の方からしたような。
「……キミ、海が好きなのかい?」
 海水から上半身を出した美しい女性が、私の姿を捕らえていた。水面下で女性の身体と繋がった水色の尾ヒレが、揺れている。
「にん……ぎょ……?」
 私は思わず、そう呻いてしまった。おとぎ話の中の話ではなく、目の前にホンモノが存在している。思わずゴクリと唾を飲み、とても早く脈打つ心臓のあたりに手を当てた。
「おや、知られていたのか。人の伝聞は、早いものだね」
 人魚は、少し照れたように笑って頬をかいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?