正一位大明神
昨日は錬誠館文武道場の年内稽古最終でした。
兵法は、こんなに長らくやってきても毎回「そうだったのか!」と言う驚きや感動があります。
稽古の本義を鑑みるに、それはそうなるのが当たり前なのだけれど、しかし奥深く味わい深いものです………
ここのところ、甲陽吾妻流の入門者が増えてきたので、改めて第一歩から攫っています。
躰術に於いては基本の基本である「七五三(やわら)初伝」を。
掴みでも無い押し引きでも無い、古流柔術特有の手の内による陰陽の力の走りと言うのは面白いもので、身体の中心迄はっきりとアクセスして重心を奪うので、初めて体験した方は大抵驚かれます。
これは「赤子の手をひねる」ようにと言われてきましたので、努めて柔らかく軽く、決してお相手の関節を痛めてはなりません。
今回は「児之手返」「拈華取」「籠手返」の3本を、立合い座り合いにて考究してみました。
この流儀は本来は「諏訪の柔」と呼ばれていたもので、古伝書は一本のみしか残らなかったので細かなところは不明ですが神流の流れだと言います。
急所図の名称からは制剛流の流れに近いと言えます。いずれにしても捕り手の武術でしょう。
珍しいのは稽古の後先に諏訪の神に祈念して「諏訪の勘文」を唱えると言うこと。
「業尽有情 雖放不生 故宿人身 同証佛果」というのがそれで、建御名方之命とも唱えます。
この流儀の発刀(居合)は僅か六手があり、それは六字と言われ、一技につき「正一位大明神」から一文字を取って呼称にしています。
やっていながら「なんでお稲荷さん……?」と長らく不思議でしたが、調べたらなんてことはない、お諏訪様自体が「正一位」なのですね。
さらに中世〜近世では諏訪の神使は「狐」。これは本朝廿四孝でも有名です。成る程、と得心しました。
ところで話はそれますが、本朝廿四孝の主人公は言うまでもなく我らが武田勝頼公。そして主を慕うがあまり諏訪の百八の白狐の霊力に憑かれながら湖上を渡る八重垣姫の物語………諏訪・狐と言えば、桔梗ヶ原の玄蕃狐。
私達真田の奉行衆が道中御守をして渡らせ給うた土佐国における勝頼様の変名が「大崎玄蕃」。
ちなみに私どもの伝承では隠密働きの女性のことを「狐」と呼ぶ習わしがありました。
古くは神道集の甲賀三郎説話、近代では真田十勇士もそうですが、一見荒唐無稽な御伽噺も、もしかしたらその核というのは有ったのかもしれません。
まあこれは脱線が過ぎました(笑)歴史というより伝奇ロマンですね😁
また、技を振るう時には「座す」ように施す。
だからこそ「座禅」等の修行法が推奨されたのかもしれません。(もしかしたら逆で、鎌倉武士の禅好みが逆輸入されて躰術大系に影響を及ぼしたのかも……)
いずれにしても、このようにすると戦の中でも身体は楽で、精神は落ち着きやすいものです。
まあそれも日々から座る工夫を欠かさないからなのでしょうが。