土佐に行っておりました。
第一の目的は、土佐に西遷なされた武田勝頼公の一族と家臣団の跡を辿るため。
そしてもう一つの目的は、霊山手箱山に斎坐す大瀧の龍王様の息吹に触れ、できるだけお近くに詣でることでした。
同志と言える大崎八幡宮宮司の岡林様にお導き頂き、巨巌奇石の林を潜り、余りにも美しい仁淀川の奥座安居の蓬来山、中津渓谷に遊び、天地太和の祈りを捧げることが出来ました。
雲間にそびえる蓬来の峰は、玉手箱を携えた乙姫様と浦の嶋子が出合いし所と言われています。
中津には古来よりの「八福神」が鎮座ましまし、雨龍の滝は轟々と丹き巌をくり抜くかの様に流ます。
川下にある越智、佐川は、平家武田家のみならず秦の徐福の遺跡が残るとか……こちらには行けませんでしたが、先の竜宮や八仙人の物語とも相まって、この一帯が普通の場所では無いことを物語るよう。
四国脊梁の尾根を飛び交い、岡林の祭祀を先導したる八咫の烏……岡林は後に武田家と合流し、大崎に「梶屋敷」を構え諏訪大明神を祀りしと伝えられています。
あやにあやに久須志く尊きは、土佐吾川山荘にまします祕められし神々なり。
そしてその手脚となりて、ひたぶる奉行に勤めしまめひと等が勲なり。
玉と御剣は鎮まり、川面は真澄の鏡の如し。
必ずや再た詣づるを誓う。
神々よ、願わくばこの願い聞きいれ玉へ。
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