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師を拝する

謹上再拝、と言う言葉が有りますが……

去る十月の末日重慶にて、わが一輩の師父百歳を記念して、改めて「拝師」の礼を取らせて頂きました。

思えば私がまだ26の時ですから今から二十五年前、三年の下積みを経て、昔の虹口公園の姜師爺の練功場子にあるベンチに師父が座して、私の叩頭を受け入れて下さったのでした。
請酒の席も、当時本当にお金の無かった私を気遣って、二人で山陰路の菜館で簡単に済ませて下さった師父。

あとあと分かりますが、本来なら姜家を筆頭に上海の武術名家をご招待してお披露目をしなければならない程、師父の盛名は老上海武林に鳴り響いて居ました。
その師父が自分と五十近くも離れた、それも外国人の青二才を、正式な徒弟として収めると言うのは、師父にとっても私にとっても簡単なことではありませんでした。
当然後に、民間高手をはじめ上海老年武術団や上海武協、精武体育会等のお歴々に、酒幕を張りご挨拶させて頂きましたが、私の隣に師父が常に居て下さったので、下に置かれるようなことは一度もありませんでした。

そんな大恩、敬愛の師父と私の縁を繋ぐ「拝師」、思えば写真の一枚もありませんでした。
無論私たちの「縁」は、そんな形式は関係なく、深くて篤い心の繋がりではありますが、この度の訪問を記念してもう一度師に叩頭の礼をさせて頂きたかった。

百年の風雪を経た温容で、私の願いも快く受け入れてくださり、甥夫婦立ち会いの下四半世紀ぶりに師父の膝下に額づき、暖かな掌に支えられ立ち上がりました。

大哥の話によると「姑姑は来る日も来る日も、お前は何時来る、大吾は今何処にいる?とばかり言ってるよ。お前は本当に姑姑の干児なんだなあ。だからこそ俺たちもお前を親弟だと思ってるよ。」と。

時に恍惚の世界に遊びに行ってしまう師父ですが、こと武の話になると、途端に姿勢、表情、声に至るまでシャッキリと昔さながらに戻ってしまいます。
だからこそ、師父のお疲れにならない範囲でできるだけ武の話をしました。
すると、出てくる出てくる………往年と変わらぬ柔らかく鋭い「勁」が、連綿と小さな身体から紡ぎ出され、私の丹田迄崩してしまう………まこと武を究めた人間の凄さ、年齢を超越した武の徳と言うものを、身を持って感じさせて下さいました。

今回私を迎えるにあたり師父は「大吾が来たら形意拳をやらせよう。」と、調子の良い時には長江の畔に出て五行拳を打たれていたと聞いて、込み上げてきたものが止められませんでした。
そして、丁寧に、今までにないくらい細密に、形意十二形について、また六合についてお示し下さいました。

話が終わると、大変お疲れのご様子で「好、你明天一早就走的吧、早点去睡」と仰って寝室に入られました。
私も私の寝室に戻り、咽ぶように泣いて、いつの間にか寝ていました。

早晨目を覚ますと、師父の寝室から灯りが漏れています。後で聞けば、私の出立の時間に寝過ごさないように2時間も前に目覚ましを掛けたのだそう。

人生別離足る………さよならだけが人生と古人の言。
悲喜交交は世の倣い。せめて君幸多かれと祈る。
しかしこれは、百年経っても身に滲みるものなのなのでしょう。

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