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馬鹿力と嗤うなかれ

2015.5.15のfb稽古日記より。一部加筆。
このとき師は77歳。私は42歳。
子供の頃から武術に親しんで来たはずの私だったが、まさに「子供扱い」されてしまった。
悔しくて、枕を噛み千切ったことも……以下本文です。

形意拳と諏訪の体術(宮川順心流躰術)、交わる点などありえないはずなんだが・・・似ている。あまりにも似ている。これは師匠の資質なのか、遠祖に唐渡りの人がいたのであろうか・・・?
もちろん外見は全くもって異なる。しかし私にはほとんど同じもののように見えてしまう。
たとえば前捌き、剣でも体術でも拳法でも前に手を伸べて捌く。当たり前のようだが、ではほかの流儀でこれがどこまで徹底しているのか。
また例えば踏む足。沈み込む動作を活かすには、踏みつつ伸びあがる、アンビバレンツな身体の在り方を身に着けるところから始まる。縦で位を取り、軸動で陣に引き込む。五行十二形も同質のものとみている。

今日の稽古で、先日理解した形意拳の身法を試してみたところ、師匠より「悪くない」とのお言葉。「昔の和術は合気道とも違う。柔道とも違う。相撲とも違う。空手も素晴らしいがまたこれとも違う。しいていえば貴方のやってきたものに近い。」とも。
楊家太極拳のバンランチュイで崩して見る。これは首里手にも同様の躰使いが認められるが「これはおもしろい・・・でも和の組み立て方から見ると崩しが大きすぎるかなあ。もちろん鋭く小さく用いるのかもしれないが・・・」との感想。そのあと師が技をかける。やはり十二形っぽい入り方。それも昔の形意名家の表演を見るごとく高い腰でするすると入身されてしまう。

柔術を錬りこむと一般的に「力」といわれるものが大きくなったような気がしてくる。これは中心への順勢(順真力)が働くからで、良く良く注意しないと「バカ力」に感じられてしまう。
これはとんでもない誤解で、この力が出てこないと技はまったく空虚な、素人相手にしか利かないものになってしまう。実際こういう旦那芸みたいなところでニコニコしている人も少なくはないだろう。僕自身も肝に銘じてゆかなくてはならないだろう。
そしてこれを次第に順和なものにしてゆく稽古法も存在する。こういったところも形意拳と似ている気が・・・まあこれはあくまでも主観でございますからね☆

この二メートルのロシア人を小手先で捻り倒し、身動きできなくさせてしまう「力」のお蔭で?師は近しい人からも「糞力のある老人」と思われている(笑)
「誤解は誤解のままに、縁のある人、道心のある人は滅多にいるものではない。」と師匠。それにしても、何かあるだろうと思って食いついてくる人っていなかったのだろうか・・・「痛い痛いと言っても、ニコニコしながら寄ってくるような人でないと、伝えるものも伝わらないですよ。」というのが真相らしい。たしかに心が折れるほど痛いし怖い・・・

来週からは袋竹刀での模擬戦を通じて学びが始まる模様。いよいよ基礎訓練が終わってきたということらしい。幸せと感じなくてはなるまい、が、正直恐ろしい・・・( ;∀;)

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