論理の先にヒトの本質はない
こんにちは。理学療法士のこうやうです。
今回のような記事はこれまで死ぬほど
書いてるので飽き飽きしてるかもしれませんが
残念ながら書いていきます。
私たちセラピスト・トレーナーは
人体と向き合わざるを得ないので
人の不思議さを目撃していると思います。
同じアプローチで1回目はよかったのに
2回目はむしろ悪くなったり
触っただけで痛みや痺れが良くなったり
いい意味でも悪い意味でも
予想外のことが起こります。
セッションや施術に通えば通うほど
状態が良くなっていくことは
少ないどころか、なく
人間の調子の良さというのは
常に変動しています。
ここがセラピストやトレーナーの難しいところで
面白いところではあります。
ただ人間特有の
不安定さ
に振り回されてるのも事実ではないでしょうか。
話は変わりますが
論理的思考というのは
どうゆう場合に通じるでしょうか?
私見ではありますが
不変の要素が揃っていること
にあると思います。
例えば
何かしらの問題が起きたときも
まず事実の確認からすると思います。
これは事実は不変だからです。
感情的なものや偏見などは一切入れずに
考えなければいけないのは
それらが容易に変化してしまう要素だからです。
では患者への介入の不変の要素とは何でしょうか。
実はそこまで多くはないんじゃないでしょうか。
介入する環境は固定されているかもしれませんが
施術者が同じでも回数を重ねていれば
印象は違っていきますし
処方していくエクササイズや徒手療法も
全く同じ物を提供するのは
不可能です。
また患者さんの状態も違えば
施術者の状態も違うわけです。
このように
施術にはあまりにも不安定な要素が多すぎます。
このようなことを考えると
論理でヒトを考えることが以下に難しいか
わかると思います。
では
論理的思考の先にあるのは
一体何なのでしょうか。
それは
正解ではなくただの選択肢
なんじゃないかと思います。
論理で考えると
具体具体を追及していきますが
残念ながら人間はそこまではっきりした
生き物ではありません。
あくまで一つの見方からみた選択に過ぎないのです。
よく理学療法士界隈では
「治療法に正解はない」
と言われますが
より正確にいうと
正解はあるんだろうけど
その実態は抽象的なもので
完全な理解には至らない
というのが正直なところだと思います。
人間はわかりやすい説明をされると
「これが正しい」というような錯覚をします。
断言をするような人が好まれるのは
そのような理由だと思うのですが
実際は
そんな単純じゃないことは実感されてる
と思います。
人間は曖昧だからこそ
さまざまな選択肢を用意できるわけで
複雑だからこそ
さまざまな治療法が生み出されているわけです。
この抽象的存在の人間に感謝して
これからも施術していきましょう。
本日はこれで以上です。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
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