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今日、誰のために生きる?

私は前記事の続きを書かないまま、話題が変わる。
人はコロコロと気が変わるもの、と思っている。
なのでもちろん私がそうであっても、私以外がそうであっても
そんなことは別段、気にならない。
話したくなったら、また話そう。

今日は別の話。

見たことないことは一切信じなかった。
スピな世界、幽霊とかUMAとかそういうのがあるのかもしれないけど、
否定はしないけど私に関係なければ、あってもなくてもどっちでも良い。

で、私は超現実主義で日々生きてきた。
その考えがガラガラガッシャーンと変わる。
一瞥体験とやらをした。
ほほう、記憶喪失だったのね、私。私が誰だったか、を思い出した。

全く期せずして、そうなった。

ご飯がある日からあまり食べられなくなってしまう。
ぜんっぜん食べたくない。水もいらない。
無理に食べるつもりもなく、そのままに。
で、そのまま。そしたら数ヶ月経過。

で!も!
体調がみるみる良くなるし、筋肉もしなやかに。
精神がヤバくなってて、自分できちんと物事が判断できない可能性もある、、と思ってたら「最近なんか見るからに元気!」と、仕事先や近所で会う方にも言われるようになる。

確かに見た目がツヤツヤになって、かえって私、今の方が断然元気いっぱいだなーって思った。
ほぼ飲まずそして食わずで暮らしてることは誰にも言ってないから、
他の人は知らない。(家族だけみてるから知ってて、心配された。ごめんね。)

なんだ、ほとんど食べなくても、大丈夫じゃないか。
むしろ決まった時間に食べたくもないのに食べてたほうが、しんどかったなー。(この十数年、肉がしんどくなってた、正直。)

そんな生活だったからなのか。

その数ヶ月目に思いがけず偶然、私の体に起こって、そして知ってしまった「本当の自分」のこと。

この世は仮の世界で、私は魂の存在が本物ということ。
この身体も入れ物として使わせてもらってるだけ、
私そのものじゃなかったって。思い出したよ。

びっくりしたのは、この世界だけでなくありとあらゆる、鉱物、植物、いえいえ、全てが私たち一体であるということ。

この仮想世界とも呼ぶべき現実世界で起きること全てに善も悪も本当は一切ないってこと。

それを今使ってる言葉にすると「愛」とか「許し」に近い感覚でしかない。
うーん、その単語の概念「愛、許し」では、まだきちんと正確に言い得てない。

ないな、1単語で言い表せないよ。この現実世界の私にはボキャブラリー不足。


そこは真っ暗でキラキラと星のような光があった。
宇宙空間に行ったことないけど、まさにそんなところだった。

何か右の方にとてつもなく大きな存在を感じる。それは私たちが神だと呼んでいる存在だと思う。
それが母体で、その真っ暗な空間一緒に存在している億とか京とかでは数えきれないほどの膨大な意識体。
その意識体と私と右に感じる神は、同じ存在で個がない。

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全部は書いてないけど、ざっとこんな感じ、というのが数年前の体験。
後でネットをみてそれが「一瞥」体験と呼ばれていることを知った。

ヨガの行者のような生活「不食と瞑想に近い呼吸法」にたまたまなってしまい、結果そうなったみたい。
(呼吸法については、たまたま10年くらい前から自前の方法でやっていた)

それからしばらくは、神様の視点で生きていた。
善も悪もなく。裁くもの何もない。

あの空間へはいつもいつも繋がっている。もれなく誰もが皆んな。
ただ忘れているだけで。忘れて生まれてきている。

そして喋らないし動かないけど、
ここに存在するすべてのものに意識があるってこと。
八百万の神様信仰、昔の日本人はこのことわかってたんだな。

なんて素晴らしいんだろう人生って。
個があること。
喜怒哀楽が感じられること。
なんでもできること。
超能力よりも、この手足を使ってげんじつを生きていられることの
素晴らしさ。

ありがとう。

タイトルになっている、最近話題の本を買って読んだ。

やっぱ、そうなんだ。昔の日本人は忘れてなかったんだ。
いつでも皆が繋がっていたこと。
人生が素晴らしいってこと。


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