谷口公太-画材代支援プロジェクト-
チャクラ図
・谷口公太
・1990年7月14日生まれ。
・静岡県生まれ富山県育ち大阪在住。
・展覧会実績
2018年11月 初個展「女神と花」開催。
2019年11月 グループ展「神仏集合展」参加。
2020年2月 グループ展「古事記幻想展」参加。
・絵画奉納実績
2018年4月 「美具久留御魂神社」様へ絵画奉納。
2019年5月 「建水分神社」様へ絵画奉納。
2019年9月 「恩智神社」様へ絵画奉納。
・SNS情報
【Facebook】 https://m.facebook.com/artistic.nigaoe/
【Instagram】 https://www.instagram.com/artistic_likeness
【Twitter】 https://twitter.com/artistic_bba
画材代支援プロジェクトとは
「画材代支援プロジェクト」は貴方のサポートで新しいアート作品が生まれます。
作家へ画材代をサポートする事で、作品が生まれる前から共に歩み、創作活動を応援し、作家の未
来の夢を叶えます。
そして作品制作に集中できるアート環境と、複数の作家をサポートできる環境を作り、美術界全体
を活性化したいと考えております。
詳しくはこちらを御覧下さい。
どうして画材代支援を必要としているのか
2017年より、かねてより諦めきれなかった画家の夢に進む為、今までの仕事を全て辞めて活動を始めました。
色々なご縁はいただくものの、中々画家活動のみで生計を立てられるまでには至らずバイトをしながら活動しています。
バイトをしていますが、絵の時間も大切にしたい為一ヶ月ギリギリ暮らせる最低限のシフトで働いています。
余裕のある収入ではない為、生活費+画材代となると生活が厳しい時もあります。
私はポスカという水性カラーマーカーと、細いミリペンという画材を使用して作品作りをしています。
作品一枚仕上げると、ポスカもミリペンもすぐインクが付かなくなるのです。
一本あたりは200円程とそんなに高値ではないのですが、一つの作品につきかなりの量を消費する為、画材の費用は馬鹿になりません。
私はもっともっと沢山の作品を描き、日本を世界を幸せにする画家になりたいのです。
その第一歩として、皆様のお力をお貸しください。
支援金の使い道
画材購入や、額購入として使用させて頂きます。
又、積極的にグループ展などに参加し、自身の知名度向上にあてたいです。
そして私はオリジナルグッズを自身で作成しています。
より身近にアートを生活に取り入れて頂きたい為、オリジナルグッズを作成し、「絵は購入できないけど、家で楽しみたい」という方向けの為にも
グッズ作成代としても使用させていただきます。
支援金の使い道 例
・ポスカ(たくさんの色を満遍なく揃えたい)
・ミリペン(ポスカとの相性が悪く、仕上げの線を書き込むとすぐにペン先がインク詰まりしてダメになります。よって、常に多めにストックしておく必要があります。)
私が画家になりたかった訳。
物心ついた頃から(両親曰く2歳くらいから)絵を描き始めていました。
特にきっかけはなく、自然と絵を描く行為に進んでいったという感じです。
不思議と、絵を描いているときは時が止まり、どこまでも幸せな気分でいられたんです。
勉強もスポーツも苦手な私は、唯一絵を描くと褒めてもらえたのです。
自分には絵を描く事しか取り柄がない、と思っていました。
ずっと絵を描いてきました。
小中高と絵を描き続け、大学も美術の大学へ進学しました。
当時の僕は、画家になるという幼少期からの夢を抱え、がむしゃらでした。
キャンバス生活を楽しみ、将来の夢を日々考えながら大学に通って1年が経とうとしていたある日、
母から衝撃的な事実を突きつけられるのです。
「学費が払えない。あなたは除籍になるわ。」
元々裕福でない家庭の我が家は、私立の大学に通わせるのは今思えばすごく大変なことだったようです。
当時私は、お金がないという理由で大学に通えなくなる事がすごく恥ずかしく
親を恨みました。
結局大学を去る事になり、日々除籍になった事を考えていました。
思い返せば、高校の同級生のほとんどは
裕福ではない家庭の子も多かったので、大学へは行けず働く子がほとんどだったなと。
そんな状況の中で、1年間でも大学の空気を吸えたのはとてもありがたいのではないかと考えるようになりました。
第一、自分を育て上げてくれるまでにどれだけのお金がかかったのか。
そう思うと、親を恨んでいる場合ではない。
むしろ感謝して、前に進まなければと思うようになりました。
その日から私は、とりあえず生きる為に様々な仕事をして生活していく事になりました。
正直、芸術とは全く関係のない仕事ばかりだったので、「もう絵とはお別れかな」と思っていたのですが
なんだかんだ、バイト先の仲間が止める時に似顔絵を描いて渡したり
好きなアーティストを大事に絵を描いたり、
全く関係のない仕事をしていても、常に絵は私の隣にいました。
芸術とは関係のない仕事を何年も続けてふと、
「自分には絵を描く才能がある。その絵で人を幸せに出来る。」
という事にふと気づいたのです。
このままこの才能を開花させないまま無駄に使い続けるのは
とても罰当たりなのではと思うようになりました。
当時仕事も楽しくなく、会社の雰囲気も自分の肌に合わないことから
毎日モヤモヤとした日々を過ごしておりました。
本当に私がやりたい事と、当時の日々は相反するものだと思うようになりました。
そして、自分の生まれた意味を考えるようになり遂に気づいたのです。
『自分がこの世に生を受けた宿命は、絵で人々を幸せにする事。』
自分で言うにはあまりにも気恥ずかしいセリフですが、でもそう思えて仕方がありませんでした。
30歳を目前としていた年齢という事もあり、挑戦するなら今しかないと思い
当時働いていた会社を辞め、画家になる道を進む事にしました。
これは絵を描き始めていた2歳くらいから、大学を除籍になり芸術とは関係のない仕事をしてる時まで
一貫して心の奥底にあった私自身の夢でした。
遂に踏み出す勇気が出ました。
中途半端では相手にも失礼なので
やるならば、画家として生活出来なくなったとして、のたれ死んでもそれが天命だと言う覚悟で腹を括って活動する事にしました。
まだまだ中々余裕ある生活はできず、バイトをしながらの画家活動の日々です。
絵を描く時間も大切にしたい為、ギリギリ生活できる収入でバイトをしています。
画材やグループ展などの費用も、正直厳しい時もあります。
それでも私は絶対に諦めたくないし、諦められないのです。
広く広く活動をして、私自身を知って頂き
日本を、世界を幸せに癒す使命があります。
そしてアートに触れる楽しみをより多くの人に知ってほしい。
その為には多くの方に認知される必要があります。
私一人の力では及ばず、これを読んでくださっている皆様にもお力添えいただきたいと思います。
ぜひ皆様のお力を私に貸してください。お願いします。
ポートフォリオ
2017年 【マリアンヌ】
2020年 孔雀明王
2019年 トリヴィシャ-三毒-
2018年 バベルの塔
2020年 Spring-春-
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