反面教師
当日従事していた老人ホームの5階食堂は
新宿新都心を一望できる素敵なシチュエーション。
夕暮れ時、平均年齢100歳近いそのテーブルは、
爺1人と婆2人組みの相席。
馴染みの席だ。
お喋り好きで職人気質な大正生まれの爺は、
老化と眼瞼下垂が重なって、
指で瞼をあげなければ視野を確保できなかった。
食事の時は箸と茶碗を持つため、口は開けても、目は開けられない。
目を閉じ、前にいる2人の気配を感じながら話に夢中になるのが常であった。
婆2人は
時折、目配せしながら
時折、爺に視線を送りながら
黙々と食事をしている。
堰を切ったかのように爺の話は止まらない。
満足するまで止まらない。
何年も同じ話が止まらない。
ホッコリする馴染みの風景だ。
一通り話終えると
お茶をグイッと飲み干し
ふぅ、、と一息。
馴染みの行動だ。
そして嬉しそうに瞼を上げ
「 あれ、もう誰もいないのか、、、 」
爺はすっかり冷えてしまったご飯を食べ始める。
婆2人帰りのエレベーターの中でボソッと、、
「あの爺さんいつも何か話してるみたいだけど、私は耳が遠いからまったく聞こえない」
「えっ、なに?いつもごちゃごちゃお経みたいの聞こえるの何か言ってるの?私達に話してるの?」
婆2人を部屋に送り終え
忙しなく下膳する横で
1人茜色に照らされる爺の顔に影がかかる
馴染みのシチュエーションだ。
大正、昭和、平成
いや、古から学び得たよ
話は聞く方が正解だということを。