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大事な人に会いに行こう

映画に予習は必要か
以前、こんな記事を書きました。

ただ例外もあります。
15年前に友人と観たベンジャミンバトンでは
予習していなかったことをとても後悔しました。
一緒に観にいく人がいるときは、予習、配慮が必要と思いました。

友人は進行が早く、どこにでも転移する肉腫を患っていました。
4回は手術できるのよ、と明るく言っていて
子宮、脳、背中(詳しくはわからないのですが)を手術して
まだ、あと1回できるとにこやかに話してくれました。
一瞬、すごく鈍感なのか、と思うほどの屈託のなさでした。

結局、4回目の手術を受けることなく、彼岸に旅立ちましたが
友人も私も大好きなブラピの最新作がちょうど来ているということで
迷わず、選びました。

そして、私は途中から、この映画を選んだことを
後悔し、辛くて辛くてたまらなくなりました。
命が終わることに向き合う、テーマだったからです。

彼女との思い出で
もう一つ悔いても取り返しのつかない思い出があります。

入退院を繰り返す長い闘病でしたが、
退院すると電話をもらいました。
「でてきたよ」と。
会いたいというメッセージだったと思います。

ある時、同じく闘病中の友人を持つ知り合いと
4人でドライブをして、景色のよい人気のカフェで食事をし
楽しい1日を過ごしました。
その時に、私の友人Mちゃんと、知人の友人が
お互い闘病中ということで繋がりができたようでした。

しばらくして、知人が、その友人から聞いた話として
Mちゃんが、「元気な私(melissa)を見ると辛い
会いたくないと言っている」
とわざわざ知らせてくれました。

そのときに自分も、同い年でこんなに元気な私を
彼女はどう思っているのだろうと気になっていたので
「さもありなん」と、連絡をすることを遠慮していました。

Mちゃんが緩和病棟に移るということになって
娘さんから連絡をもらいました。
忙しくしているだろうから、病人の相手なんてできないと思うけど
「会いたい」とずっと言っていたと。

「え?元気な私に会いたくないじゃなかったの?」
と思いつつ電話をもらったその日に会いに行きました。
緩和病棟に移動すると聞いていたのに、にこやかに迎えてくれて
「忙しくしてる?ありがとうね」と嬉しそうに言いました。

そして、「長い付き合いだったからわがまま言わせてよ。
あと少しだから、時間があれば会いに来て話しをきかせてね。」と

私は、彼女が「元気な私に会いたくない」と言ったかどうかを
確かめることはしませんでした。

誰からも愛される優しい性格なので
相手から、「元気な人とは会いたくないよね」と言われたら
そうね、と相槌を打ったのでしょう。

Mちゃんが緩和病棟に移ってからは
頻繁に会いにいきました。
あるとき、うちの息子のフルートを
もっと聴きたかったと言いました。

東京の有名な音大を卒業していたMちゃんは
子供たちの小さなコンクールまでいつも聴きに来てくれていました。
娘は順調に音楽を続けていましたが
息子が楽器を置いたまま
いろいろと難しい時期にあることを心配してくれていました。

寄らばキレられるような状況の息子に
「Mちゃんがフルートを聞きたいと言っている」と伝えました。
しばらくして、娘さんから、息子が「フルートの演奏を録音して
持ってきてくれた、母は毎日聴いている」と連絡をもらいました。

家で吹いている様子がなかったので
YouTubeかなにかで音源を拾ってきて
作ったのだろうと思っていました。

Mちゃんが危篤、との知らせを聴いて駆けつけたときには
もう話はできませんでしたが
病室でフルートが流れていました。

息子が発表会やコンクールで演奏した曲が流れていました。
紛れもなく息子の演奏でした。
きっとカラオケボックスかどこかで練習して録音したのでしょう。

どこかで拾ってきた音源を編集しただけ、と決めつけていた私。
息子の苛立ちは、そういう「子供を信用しない心」が
伝わっていたからなのだろう、と気づき衝撃を受けました。

親として、必要なことはやっている、と思っていましたが
大事なことができてなかったと気付かされました。

息子との親子関係の悪さを
ずっと心配してくれていたMちゃんは
人生の終わりを迎える、大事な時に、
私にこんなにも大きなプレゼントをしてくれたのです。

あれから、すぐに状況が改善したわけではありませんが
自分は悪くないと思っていた私が、自分を顧みることで
ゆっくりと関係が変わっていきました。

Mちゃんが旅立った日の空ははとても綺麗な星空でした。
星の綺麗な夜は星空に向かって近況報告をします。

可愛いお嫁ちゃんが来てくれたよ。
息子にそっくりな孫もできたよ

親友との大切な時間を失ったことについて
最近この本を読んでなるほどと膝を打ちました。

同じ言葉を聞いても、人それぞれ「スキーマ」
(私たちが物事を理解する際に裏で働いている基本的な知識や思考の枠組み)が違うので、正しく伝わらないという事です。

私も「さもありなん」と思ったところに
「認知のバイアス」がかかってしまい
友人とのかけがえの無い時間を失いました。
会いに行った時に
喜んでくれる顔に嘘偽りはなかったはずなのに。

これって本当に難しいです。
確かめる事で相手を傷つけたり
間違った答えを導いたり。

だからこそ、自分のスキーマだけで瞬時に判断するのではなく
いくつかの可能性を考えることが大事。
そのためには本を読んだり映画を観たり人と話したりして
自分以外のスキーマを知り想像する事が
大事なんだと思います。

ここまでお読みくださった方は
最近疎遠になっているご家族や大切なお友達に
連絡なさってみてくださいね。

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