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坂の上の雲 本日再放送開始です。

坂の上の雲 本日再放送開始です。

「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。」

坂の上の雲 冒頭

昔の話のようですが、坂の上の雲に描かれた


「高い志とひたむきな努力」

は、今の時代の人々の心を震わせています。

北島康介を育てた平井伯昌コーチは、坂の上の雲の愛読者で知られていて
ふらりと松山城を訪れることで有名です。

「プロセスは変えても、目標は変えるな」
「日常すべてが仕事に結びつく」

平井コーチ

彼は、目標(坂の上の雲)に向かって、プロセスはストイックなほどに
勉強して試行錯誤してるそうです。

日本全国から講演依頼が殺到している塩野七生氏が
松山へ講演に来られたときに、その動機の一つとして
「松山出身の軍人・秋山好古に関心を抱いていたこと」
陸軍大将としてトップに上り詰めた好古が
退役後は故郷に戻り中学校の校長を務めたことに触れ、
「そこまで彼を惹きつけた松山を見てみたかった」そうです。

関係者からの伝聞ではありますが
司馬遼太郎氏は、著作のうち坂の上の雲だけは
映像化を頑なに拒んでいたようです。

理由はあれほどの大作家でも映像化に際して
脚本や演出などの細部には関与できないため
作品のイメージが変わることを恐れていたためと言われています。

司馬遼太郎氏亡き後
坂の上の雲フィールドミュージアム構想が立ち上がりました。
松山全体を坂の上の雲の理想に沿ったフィールドミュージアムにしようという
ものです。
根気強く、夫人にお願いしていたそうです。
夫人がNHKドラマにOKを出したのは
自分が死んだら、司馬の思いを知る者がいなくなる。
自分が生きているうちに、制作に参加して作っておきたいと
思われたからだそうです。

松山というと「坊ちゃん」で有名ですね。
痛快青春小説として人気の作品ですが
松山市民にとって快い作品ではありません。

小説坊ちゃんは、松山の町やそこに暮らす人々を単なる田舎者、ではなく
まるで未開の野蛮人のように描き、揚句、松山を去る時には
「不浄の地」と呼び、「船が岸を去れば去るほどいい心持ちがした」と書いています。

なんで、こんなものを有難がっているか?という議論は以前からあるのですが
松山人は「寛容」で一応まとまっています。

松山の人間なら、ムカムカ・・・若い人の言葉を借りると、ムカつきます。
そんな中、かつての松山市長、元愛媛県知事の中村時広氏が
中心となって、坂の上の雲をテーマにした街づくりを始めました。

その一環としての
「坂の上の雲フィールドミュージアム構想」
https://www.j-smeca.jp/attach/kenkyu/shibu/h17/h_ehime.pdf

「まつやま子規の庭プロジェクト」として参加しました。

東京には根岸に子規庵、奈良には子規の庭 があるにもかかわらず
庭の設計をし、植物画を描き、こよなく庭を愛した子規の庭が
地元にない、というのが残念で立ち上げたプロジェクトです。

女性だけで活動しています。
仲間は目標を定めたら、まっすぐそこに向かって
何が必要か?なにを修正したら目標に近づくか?を見定めて
柔軟に方向転換しながら、あれこれとアイディアを出し
実際に動き、周りも動かすハンサムウーマンでした。
彼女たちと話していると、自分までそこに近づいていけるような気がします。

松山人の気質は、「災害が少なく気候温暖で争い事を避け穏やか
思ったことをあまり口にしない」と言われていますが
坂の上の雲に描かれる女性たちは、静かに見守っていながら
いざというときは、男性をリードして大胆な行動をしています。
男前の母や妹、に支えられて坂の上の雲をめざす3人の今に生きる人生哲学
を是非、ご覧ください。


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