日本教育の現状
皆さんこんにちは、エスネコです。
簡単に自己紹介すると、
僕は日本再興を掲げる高専生です。
そんな僕は、
日本の全ての学校を最高に楽しいものにするという夢があります。
そのために、教育改革をすることが僕の目標です。
なので、今回は日本教育の現状を書いていきます。
■日本教育の悪いところ
今の教育の悪いところを挙げるとこうなります。
・高校までの教育の目的が大学受験合格になっていること
・オールラウンダーを作り出していること
・義務教育で強制になっていること
・年齢で統一されていること(飛び級がない、先輩後輩の仕組みなど)
・正答主義で正解以外許さないこと
・同調圧力でいじめが起こりやすいこと
・古き教育制度にしがみついて変わろうとしない人がいること(例:国会議員)
・古き教育の影響を受けた頭の悪い先生が多いこと
これらひとつひとつの項目をこれから解説していこうと思います。
高校までの教育の目的が大学受験合格になっていること
なぜ、大学受験合格が目的になっていることが悪い点なのか。
理由は単純で、
目的を達成したら生きることへのモチベーションがなくなるからです。
しかも、合格したらそのまま社会へと放り出すような無責任な状態です。
その人が何をやりたいのか、どうしたいのか、
そういったことを考える機会を与ずにただ勉強させ、
従順に従うロボットを作り出す教育となっているのが現状です。
では、なぜ大学受験合格が目的になってしまったのか。
これは、僕の推測なのですが、
元々日本の文化に大学というものが
存在していなかったことが影響している気がします。
そのため、大学が社会で働く上でどのように役立つのかが
国民に理解されていなかったのではないか。
そうして、戦後に大学制度と教育制度が整い、
大学の価値が認識され始めると、
こぞって子どもを入学させる風潮が出来上がった。
さらには、親の世代の大学進学率が
低かったことも影響しているでしょう。
資料をみてみますと、
1996年にやっと3人に1人が大学へ進学するようになっています[1]。
初めて進学率が50%を超えたのは、2009年です。
こんな感じじゃ、親が大学を理解せずに子どもを
育てる状況となってもなんら不思議はありません。
ですが、いい点をいうと、
大学進学率が50%を超えて10年が経ったと言えます。
僕たち一般人の一人ひとりが、
大学へ求める意識を変えていけば、
この問題も解決できるのではないでしょうか。
オールラウンダーを作り出していること
次に取り上げるのは、
オールラウンダーを作り出していることです。
オールラウンダーとは、
国社数理英の五教科に置いて、好成績をとる人のことです。
なぜ、オールラウンダーを作り出すことがダメなのか。
理由は、人の可能性を潰しているからです。
人にはそれぞれ向き不向きがあります。
極端に言うと、人は好きなことは、いくらでもできます。
ですが、嫌いなことはやりたくない。
誰もが思っていることです。
さらに、子どもはこの傾向がより強くでます。
好きなことをとことんやり続け、
嫌いなことを断固として拒否する。
そして、好きなことをやり続けた子どもは、
将来大きな才能を持って、社会で活躍するようになります。
そんな、可能性溢れる子どもの時間を奪っているのが現状です。
もちろん、モラルやリテラシーを勉強させることは必要です。
ですが、数学が好きな子どもに、数学を学ぶ時間を奪ってまで
他の教科を学ばせる意味があるのでしょうか。
僕はないと思います。
なぜなら、それぞれの分野を極める上で、
基本となる五教科は、自然と身につくからです。
数学者を例としますと、
数学を勉強する方法は主に本を読むことです。
本を読むには国語力が必要です。
そして、大学に進学し、研究などをするならば、
世界の研究にも目を向ける必要が出てきます。
自然と英語力が要求されます。
さらには、もし研究などに時間を割きたいのなら、
資金を提供してくれる方や機関が要ります。
資金の提供を受けやすくするためには、
需要と供給の概念を理解し、少しの経済学の知識が必要となるでしょう。
と、このように生活していると、
必要なことは自然と学ばざるを得ないのです。
それにも関わらず、本人が勉強をする意味を理解しないで押し付けると、
勉強を拒絶する原因となります。
では、なぜオールラウンダーを作り出すようになったのか。
大きな原因の一つが、大学入試です。
入試問題が2種類あるのは知っていますか。
センター試験(2021年から「大学入学共通テスト」に変更)
と各大学による試験です。
特にたちが悪いのがセンター試験です。
これは最低でも6科目を受けないといけないのです。
ということは、自分の深めたい分野、教科に集中することができず、
特出した才能を持った人には不利です。
このように、多くの教科を学ばせオールラウンダーをつくっているのです。
センター試験(大学入学共通テスト)を廃止すると、
各大学がそれぞれに特化した問題を作ることができ、
受験者の能力が活かされやすくなると共に、
より各大学の特徴にあった学生となるはずです。
では、なぜセンター試験のようなものが生まれたのか。
それは、日本社会の歴史に要因があります。
遡ること約70年、日本は1950年代に高度経済成長期に入ります。
そのときは、工場で画一化された商品を大量生産して販売する風潮がありました。画一化された商品を大量生産するためには画一化された人材を使うことがもっとも効率がいいです。そうして、画一化された人材を教育する需要が高まりました。
したがって、教育を受けるもの全員に同じ環境を与え、
同じ教育を施すことが教育の流れとなりました。
その結果、生まれたものがセンター試験です。
しかし、今はその「画一化された人材」が必要ではなくなっているのです。
なぜなら、機械工学や人工知能の技術が急速に進化し、
製造過程に人の手がほとんどいらなくなったからです。
今まで人間の手によってなされていた仕事の内、単純作業やつまらない作業はすべて機械によって代行されます。
そのような社会に突入した今、人は楽しいものや好きなものへと進んで行き、個へと独立していきます。
個人とうたわれる今、統一されたセンター試験は不必要どころか、
日本の成長を抑制しているのです。
義務教育で強制になっていること
義務教育は本来、学ぶことができなかった人を学ばせるために作られました。しかし、今は教育を受けさせることが民衆に受け入れられ、就学率はほぼ100%です。
義務教育の制度は、強制力を持って人々を拘束しています。
画一化された人材をつくるための制度を変えないまま、個性を潰している。
さらには、学びたいことを自分で選べず、目的や才能を持った子の可能性を潰している状況をつくり出しています。
前述した通り、今の教育は子どもの可能性を潰すものとなっているのです。
前に聞いた、将棋界隈での話をしましょう。
プロの将棋騎士を目指す人は、
中学までの義務教育は長すぎると言っていました。
将棋の腕を磨くには、
教育の時間さえ取れないほど将棋の練習をする必要があるそうです。
これからの教育では、決められたことを与えるよりも、
子どもの興味や才能を伸ばすように、
教える人が一緒に進むことが必要だと思います。
年齢で統一されていること
年齢で統一されることのデメリットは主に二つあります。
・できる子とできない子が同じ授業を受けること
・思考や意見が近い年齢に偏ってしまうこと
まずは、できる子とできない子が同じ授業を受けることについて書きます。
日本人は平等というものを気にしすぎています。
そのため、優秀な子を飛び級させたり、
成績の低い子を留年させたりすることを嫌います。
それにもかかわらず、日本の小学校は一番成績の低い子、
つまりできない子に合わせて授業を行います。
なので、それによって、できる子は分かりきっていることを延々と言われ、できない子は理解できないまま進んで行く。
これほどまで最悪の状況はありません。
できる子は分かりきっていることを言われ続けると、勉強が嫌になります。
できない子は分からないことを言われ続けられてもできるはずありません。
そもそも全員が同じ時間で同じことができるようなるのかと言う話です。
すべての人が同じことはありません。よって、学問を習得する時間にも違いが生じるはずです。
次に、思考や意見が近い年齢に偏ってしまうことです。
先輩と後輩のような無意味の上下関係があるのは問題です。
年齢がいくら上と言っても、年下のほうが優秀であることもあります。
そして、いくら年上の人でも好きでなかったり、
尊敬できたりしないとただの悪い人です。
そんなひとに頭を下げることなんて僕はいやです。
今まではこんなわがまま許されなかったでしょう。しかし、今は違います。年齢に関係なく同じ空間に居て、
同じことを共有してもなんら問題はないのです。
もちろん、年上だからこそ知っていることもあります。
年上たちが持っている知識を年下の人たちに与えないのはもったいない。
なので、学校の学園をなくすという意見が挙がっています。
確かに、集団の年齢層が幅広いと、
様々な経験をした人と関わることができます。
幅広い年齢層と関わると、社会で必要な知識を得ることもできます。
これらを解決するには年齢を気にしすぎる風潮を壊さなくてはいけません。
留年や浪人、飛び級などを積極的に活用するのです。
年上に敬意を払うのではなく、すごいと思う人に敬意を払うのです。
正答主義で正解以外許さないこと
今の授業形態は、教育者や教師が正しいとするもの、
つまり正解を用意して問題を出題することがほとんどです。
これもまた、画一化された人材をつくろうとした名残です。
同じような考えを植え付けるには、
同じ答えになるように教えればいいわけですから。
そうして、間違った回答をした子には指導が入り、
個人の考えというものが生まれなくなるのです。
こんなことでは、個性もなにも生まれません。
さらには、失敗することも許されないときたもんです。
挑戦して成功するという流れだけを見て、
失敗をした子どもには、失敗を活かす機会を与えません。
そうして、子どもたちは失敗を恐るようになり、
挫折を経験したときにどう立ち直ればいいのかが分からないまま大人へとなっていきます。
それに、正解のある問題を解きすぎると答えのない問いに出くわしたときに、思考が停止してしまいます。
子どもに正解を求めるのではなく、意見を求めるのです。
自分の考えと違うからといって否定するのではなく、
新しい考え方として参考にする。
最初から、正しい答えがあるもの自体が少ない。
そんな状況で、試行錯誤を繰り返し、
活用できる答えにたどり着く。
けれど、まだその答えにもまた問題があるかもしれない。
問いに終わりはないのです。
同調圧力でいじめが起こりやすいこと
正しいものがたった一つに決まる風潮は、
少しでも変わった子を排除する傾向にあります。
それによって、集団で一人をはぶくようないじめが起こりやすくなっているのです。
人前に晒され、嫌な思い出となると、その子は不登校になってしまいます(不登校の方が古き教育の影響を受けずに済みますが)。
しかし、古き教育の影響を受けずとも、
心が折られてしまった子どもがそのまま幸福になることはないでしょう。
同調圧力は日本にいると感じにくいのですが、
日本の学校の同調圧力がもっとも強いようで、海外へ留学に行った人が日本に戻ってくると圧力を感じるそうです。
なぜ、同調圧力が生じてしまうのか。
それは、子どももまた、孤立することを恐れているからです。
皆と違う意見を言って否定されたらどうしよう。
自分だけ仲間外れにされたらどうしよう。
そんな不安が子どもを飲み込み、
他者を傷つけることで安心感を得ようとしているのではないでしょうか。
古き教育制度にしがみついて変わろうとしない人がいること
今の日本の教育システムは画一化された人材を作るものだと説明しました。
そして、画一化された人材が必要とされなくなった今、新しい仕組みに作り替え、新しい環境に適応できる能力を子どもに授けなければなりません。
しかし、新しい仕組みにすることができていないのが現状です。
それはなぜか。
答えは国会にあります。
今の国会は教育に対する積極的な発言をしているように思えます。しかし、どれも根本的解決に至るようなことに繋がっていません。
よくなるように誘発することだけを行って、古い仕組みを軸に置いたままなのです。
国会議員には頭が悪い人が多いとN国党の立花党首が言っていました。
きっと、目の前の利益と自分の欲がほとんどなのでしょう。
そして今日本社会のトップに立つ人たちも、
古き教育の影響を受けています。
そのこともあって、古き教育制度がもっともよいのだと信じています。
そこには変わることが怖いという思いもあるはずです。
ですが、いつの時代もリスクがない改革はありません。
自分の地位に縛られるような人は地位を与られる資格はありません。
個人が変わらなければいけないと言う意識を持つこと。
それが、僕たち一般人にできることです。
古き教育の影響を受けた頭の悪い先生が多いこと
これは、最近話題になっている教師をいじめる教師を見ていればすぐにわかります。あれほどまでとは言いませんが、ほとんどの先生は古き教育の影響を受けています。
たとえば、正答主義の影響を受けた先生が、
ブログを書くために学校を休む生徒を見かけたとしたら、やめさせようとするでしょう。なぜなら、その先生は学校に行ってつまらないことを勉強して、いい大学に入って卒業して、就職活動をして今の職につくというレールの上しか走っていなかったからです。
それ以外すべて悪いこと、良くないこととして捉えているからです。
敷かれたレールの上を走るのは、人生とは何かという苦しい問いをせずに済みます。しかし、レールが今の時代にあっていない場合、走っていた人を待つのは過酷な社会です。
そうしていつか必ずレールは崩れ去ります。日本ではなく世界が変化を望むからです。
崩れるときに、崩れることを知らなかった人はどうにかする方法が見つからず困り果て、停滞してしまいます。どうにかする術を教えられなかったからです。
レールの上を走っていれば安心という時代は終わりを告げようとしています。
不安を抱えながらも、もがいて悩んで支えあいながら生きていく。
そんな時代へと変化しているのです。
参考資料等
[1]表13.4年制大学への進学率と18歳人口の推移https://www.mukogawa-u.ac.jp/~kyoken/data/13.pdf
今回書いた文章は、落合陽一さんの意見を参考にしています。
僕が彼に触れてきた中で考えたことを書きました。
この記事を読んで、
あなたが今の日本教育の現状を理解してくださったのなら幸いです。