我を忘れることの意味
どうも、やけに我に帰りながら小説を読んでいたエスネコです。
さっき僕が読んでいたのは、梶井基次郎の「檸檬」。
読んでいて、なぜか文章に集中することができずに、ただ漠然と文字を眺めているような状態だった。読んでいると、すでに満杯のコップに新たな情報を入れようとする感覚がある。常に現実的な感覚から抜け出せずに読んでいるせいで、作品に触れて感情を動かすことができない。
昔は、ハリーポッターとか読んで、映画を見ているくらいその作品の世界に入り込むことができたのに、最近はそれができなくなってる気がする。
なぜなのだろうか。
多分「焦り」が原因だ。効率を上げてより多くの作品に触れようとするあまり、作品を時間をかけて自分なりに咀嚼することを疎かにしているのだろう。言い換えると、我に帰りながら読んでいるとも言える。
それでは本末転倒、読む意味がない。
しかし、「早く読みたい」という気持ちはそう簡単に消えそうにない。
どうすればいいだろうか。
我を忘れて作品にひたるのは、作品に触れることを、限り無く現実の体験に近づけるために必要なことだと思う。