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ほんの1ミリだけでもいい。事態が改善してくれれば。(ハラスメントと闘う日々⑩)
昨年末から進めてきたハラスメントとの闘いに、ひとつの区切りが訪れた。
前の記事に書いたように、ハラスメントの追及は悔しいながらも諦め、以下の2つを人事には要望として伝えた。
異動の希望
職場環境の改善
そのうち、異動の希望についてはなんとか叶えられそうな感触を得た。
このような状況の中で、こんな私を拾ってくれる部署があるのは本当に有り難く、感謝しかない。
でも一方で、職場環境の改善については残念ながら進展が殆どない。
この点については、加害者(とされる者)の行為はハラスメントとは認められないが、「マネジメント」として相応しくなかったかもしれないと、人事の担当者がぽろっと言った。
この言葉が、私に火をつけた。
では「相応しいマネジメント」とはいったい何なのか。
それを明確にすることはできるのか、と。
そして強く思った。殆どの管理職が「相応しいマネジメント」を体現できていないから、会社がこんな窮状に立たされているのではないか、と。
彼は言った。相応しいマネジメントを定義することはできない、それは個人個人が内省しながら自ら作り上げていくものだ、と。
これが人事の見解なのか。
個人に委ねてしまうから、我流のマネジメントで溢れかえり、混乱を招いている。基本と原則を学ばないから、軸がぶれる。
極めて前向きに捉えるのであれば、私がハラスメント被害を受け、上位上司にも幹部にもその訴えを退けられ、降格処分まで下されるという酷い扱いを受けたのは、マネジメントが機能していないことを(痛い)経験を通じて証明するただった、と理解できなくもない。
これからは、どこへ行っても、マネジメントが機能しなかった最悪のケースとして、生々しい自分自身の経験談を話せる訳だ。
人事の方の発言から、いまの組織の価値観がよく分かった。人事も結局のところ、組織の中に(悪しき組織の文化に)どっぷりと飲み込まれてしまっている。
やはり私が貢献すべきは、
この会社にマネジメントを取り戻すこと。
そして、誰もが活き活きと輝かしく働ける職場を取り戻すこと。
それなんだろう。
それをやらなければ、私の経験は、単なる痛みだけで終わってしまう。
この大きな組織の中では、私の発言や行為など小さなアリがため息をついたくらいのほんのちっぽけな行為にしかならない。
でも、黙っていては何も変わらない。
状況は1ミリも改善しない。
ほんの1ミリでもいい。状況がほんの少しでも変わってくれればいい。風向きがほんの少し変わってくれればいい。
その1ミリの変化が、やがて大きなうねりになっていく。
それを信じて、活動を続けていく決心をした。
自信と尊厳を取り戻す為の闘いはつづくーー。