ハラスメントと闘う日々 終話
4月1日で異動した。
気持ち的には、異動がやっと実現できた、といった感じだ。
この3年間は本当に辛い日々だった。
在宅勤務を強いられる中の引き継ぎが大変で、あまり感傷に浸っている余裕はないが、あの日々は二度と経験をしたくない。
そして、もしこのタイミングで異動出来なかったとしたら……想像するだけでゾッとする。
しかし、今回の一連の経験を通じて多くのことを学んだ。
ひとつは、目的を見失ってはいけないこと。
今回、ハラスメントの訴えを敢えて取り下げた。
ハラスメントと認定させることは難しそうだと判断をしたからだ。そこに時間をかければかけるほど自分が苦しむことになりそうだと察知した。
だから、ハラスメントの温床になっている組織から抜け出すことを最重視し、それを目的として調整を試みた。
ありがたいことに、他部署の方からお声が掛かったこともあり、その目的は揺るぎないものとなったし、本当に助けられた。
いま、こうして異動を果たし、結果としてその方針は間違っていなかったと言える。
ハラスメントとして認められなかったことは無念だし、本音を言えばトコトン追求をしたかった。ただ、それが本来の目的ではない筈だと自分に言い聞かせた。
自分が希望とするのは、活きいきと働くことであり、その為にいま何をすべきなのかを、感情をいったん脇において冷静に考えるように努めた。
感情に支配されると、ハラスメントを認めさせること、あるいは自分の主張が正しいことを認めさせること、これらが目的になってしまいがちだ。ただこれは自分を更に追い込んでしまうことになりかねない。
そこに気づけたことが大きかった。
ふたつ目は、一人だけの訴えはなかなか響かない、ということ。
これは2018年、ハラスメントを受けていた当時にも感じたこと。私の訴えはいとも簡単に退けられた。いや、捻じ曲げられた。
あれから1年半経過し、人事が当時所属していた部門へ何名かのヒアリングを行ったことで、初めて酷い実態が認識された。
ハラスメントは、よく耳にするように、受けた側の受け止め方の問題でもある。中には過剰に反応し、必要以上に騒ぎ立てる者が出てくるのも理解できる。人事もそれを恐れ、対応が慎重になる。
人事との会話でもそれを感じた。
ハラスメントの訴えは、できることならば複数名で同時に行うことのほうが効果的のようだ。ただ、ハラスメントを受けていることを周囲に告白するのもまた、勇気のいる行為だ。そしてハラスメント行為者が特定の人をターゲットとしてしまっている場合は尚更だ。
常日頃から、腹を割って相談のできる信頼のできる人を何人か作っておくことが必要なのかもしれない。私の場合も、当時先輩社員の方が心配し気遣ってくれたことが大きな支えとなった。
仲間を作ろう。逆に言えば、仲間がなかなかできない職場は、皆がけん制し合い、腹を割って話すことができなくなっており、既にどこかおかしくなっている可能性が高い。
今回、私は運よく異動することができた。
ただそれは、ハラスメントに苦しんでいる人がたったひとり減っただけだ。まだ加害者は猛威をふるい続けている。ハラスメントの定義に抵触しない範囲でしたたかに。
今回の人事への訴えの中で、もうひとつ要望を出した。
悪化の意図を辿る職場環境の改善をしてほしいと。
それはまだ実現には至っていないし、正直程遠い。
ただ、異動直前に人事に呼ばれ報告を受けた内容は、少し希望が持てるものだった。
加害者の行為はマネジメントに就く者として、決して相応しいものではない、改善が必要なレベルだと認識をしたと。(やっとだ・・・)
その為に、具体的な改善プログラムも走らせるようだ。
そんなら初めから管理職のポストになんか就けるなよと言いたくもなるが、それでもまあこれは大きな一歩なのかもしれない。
そして、勇気を振り絞って人事に相談をもちかけた私の行為も、これで多少は意味のあったことと言えるのではないかと思うと、少し報われた気がする。
今後どう展開していくかは全くわからない。だが、経過は定点的にウォッチしていくつもりだ。
そして、恐らく私の活動は、これから本番になるだろう。
今回の経験を今度は私ならではの武器にして、マネジメントの必要性・大切さを訴えていく。何故なら、マネジメントがきちんと機能していれば、こんな悲しい出来事は起きえないと断言できるからだ。
”これから”が”これまで”を決める。この言葉を胸にやっていく。