安心して何事も心配なく人生を歩む方法(人生の帳尻は必ず合う)

人は魂で霊存在で、天国と地獄があり、永遠の転生輪廻を繰り返す旅人という前提です。

今世だけ見ると、確かに人生に悪いことばかり起きて、悲惨の内に人生を終える人がいます。
反対に人生にラッキーなことばかり起きて、腹黒くても、良いことばかり起きて、良いこと尽くめで人生を終える人が確かにいます。
このように人生の帳尻が合わないかのように見えることもあります。

なんて、世の中は不公平なんだ!と思うこともあります。

しかれども、来世、来来世、前世、前々世を見ると、今世や来世等で代償の法則が働き、必ず帳尻が合うようにできてるのが、今、私たちがいる仏神が創られた世界です。

よくカルマの刈り取りと言いますが、善人が今世不幸であるなら、過去世からのカルマがあり、その刈り取りをさせられていると言われます。

また、今世で新たなカルマをつくることもあります。

なりすまして人を騙したり、公開の場で嘘を付き人を貶めたりすれば、新しいカルマの種を蒔いたことになるのは、当然のことでしょう。

そういう人は、今世、平穏に暮らせれたとしても、霊界においては地獄に堕ち、来世は厳しい人生が待っているに違いありません。

そう思うからこそ、その点において、私は何が起きても、安心しているのです。

なぜ、そう思うか?反対にそれは、私が何事にも善意でもって、人と接する努力をしているからです。

もう少し説明しますと、今世、悪の限りを尽くした人が、幸せの内に人生を終えてしまった、世の中は、なんと不公平!だと思うこともあるでしょう。

ですが、霊界があり、転生輪廻がある限り、必ず代償の法則が働き、不公平なことは起きず、必ず必ず帳尻が合うようになってます。

悪事は必ず反省をさせられ、その代償において地獄に堕ち、来世においては、カルマの刈り取りを必ず自ら行わなければならない法則があります。

だから、今世において、悪事を為し、その悪が発覚しなくとも、『神の真理の見えざる手』による因果応報が100パーセントの確率で起き、その悪事に見合う代償とカルマを背負うことになります。

反対に人を助け、かつ、かばって、何かの勘違いで悪人に仕立てられ、それでも宗教的善意で生ききったにもかかわらず、一見したら不幸な人生を送った人がいたとしても、それも代償の法則が働き、天国で賞賛され、幸せな転生輪廻が待っています。

このように、悪人が悪のまま勝利し、善人が今世において敗北したとしても、天国地獄があるため、必ず帳尻が合うようになっているのです。

だから、人には優しく接すれば、その善行は必ず自分に返ってきます。


『情けは人のためにならず』
ということわざの真の意味は、実はここにあるのです。

情けを人にかけたら、必ず自分の善行として戻ってくる真実があるからです。

その善行の見返りは、相手から返ってくるのではありません。

神様から、その見返りは与えられるのです。

ほんのささいな優しさも神様は見逃しはしないから、安心して善行を積んでほしいと私は思っています。

それは、おそらく霊界においては10倍の尊敬と賞賛として返ってくる感覚と思った方が良いでしょう。

世の中には、人から奪うばかりの利己主義者がいますが、
その真の事実を知れば、真の利己主義者であればあるほど、人を愛することの重要性が分からなければいけません。

それに、人から愛を奪ったり、哀れみを受けたとしても、なんら魂の成長にはなりません。

魂の成長になるときとは、その人が神の代わりに、他人に何かを為したときです。

神の代わりに人を愛し、神の代わりに人に善行を施したときなのです。

その善意が、その善行が、実は神から恩恵として与えられるのです。

真の利己主義者であるならば、人々に善行を施し、神様から恩寵を受けましょう。

なので、自信をもって、100パーセントの確信をもって、人を愛し、人を生かすべきだと思います。

その人のために汗を流した代価は、他人ではなく、神によって帳尻が合うように世界は創られています。

その人のために流した涙は、他人ではなく、神の御光によって、それもおそらく10倍の喜びを伴って癒されるものだと思います。

そのために、私は安心して何事も心配なく、人生を歩んでいられます。

特に悪人が最終的に勝利を得ることはなく、善人が必ず報いられる法則が有ると信じられるから、安心して毎日寝ることができています。

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kousa
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