300円と文章の価値/悪い方に考えることの「正しさ」と良い方に信念を持つことの「カッコよさ」/人の心を勇気づける言葉の秘密

9月25日(水)晴れ

だいぶ涼しい、というかやや寒さを感じるような時間帯もあるようになってきた。今朝は昨夜がどうもうまく眠れなくて1時ごろ起きてうとうとしてちゃんと眠れたのかよくわからないまま時間が過ぎて、トイレに起きて時計を見たら4時を過ぎていたので起きることにした。5時の気温は15度だったが6時10分の気温は14.2度。しばらく前の最低気温に比べると10度近く下がっているから、本当に一気に秋が来た感じだ。とは言えもう秋分も過ぎ、暦の上の秋は半ばが過ぎたわけだから、これくらいの気温が当然なのだろう。

5時過ぎに車で家を出てセブンでサンデーとカフェオレを買い、別のセブンでビッグコミックを立ち読みしてマガジンを買った後、さらに車を走らせてお城の近くのファミマでアフタヌーンとエビアン、思い直してビッグコミックも買った。アフタヌーンは今月は「ブルーピリオド」が休載。しばらく「おおきく振りかぶって」の休載も続いているし、この2作品がないとどうもアフタヌーンの魅力が半減してしまう。アフタヌーンは元々は「シドニアの騎士」を目当てに買い始めたのだが、シドニアが終わった時もロスは半端なかった。極めて魅力的な作品(自分にとってだが)を連載する一方、それに拮抗する作品はそうそうは出てこないので、休載したり連載終了したりすると割とダメージがある。ジャンプは常に水準以上の作品がいくつもあるわけだからやはり化け物だよなあと思う。

noteは有料のものが結構増えてきていて、それなりに売れているようで良いことだとは思うのだけど、自分が考えると300円の記事に290円のジャンプ以上の価値があるのか、という感じがしてしまう。もちろん次元が違う問題だし、当然ながらジャンプは大資本で大量販売しているからこの価格を維持できているのだけれども、今日買ったサンデーは380円、マガジンは400円、ビッグコミックは480円、アフタヌーンは730円だから、まあジャンプが化け物だということもまた確かなのだが。

私も月額1000円のマガジンを購読していたりするが、1000円と言えば文藝春秋である。逆に言えば一人メディアが大資本の雑誌に対抗できるのはnoteというシステムのおかげが大きいし、著者を応援したいという気持ちがあるから購読するということもあるだろう。有料noteは一時試したこともあるが自分としてうまくはできなかったので中断はしているのだが、自分が書くものはどうしてもエッセイ系・国際関係等観察・考察系・思想考察・表明系・マンガ感想系その他もろもろ(ファッションとか)観察・考察系になるのでそういうものの需要がどれくらいあるか、は計りかねるところはある。

ただ、自分の書いた文章が幾ばくかであってもお金になるというのは単純に嬉しいということはあり、何らかの形でそういう方向性も探っていきたいとは思っている。


たまたまビッグコミックを立ち読みした、というか要は「Blue Giant Momentum」が今どうなっているのか知りたかったからなのだが、黒人街のハーレムに住み着いた大たちが貧窮の中演奏のチャンスも掴めない中で、黒人の少年のエルヴィンに案内されて街を見て回る中で、その場の人たちにだんだん馴染んでいく様子がよかった。(29話)

その中で親切ではあるのだが冷めた大人のような口を聞くエルヴィンが「父親が20日前に出ていった」というのを聞いて大は「早く戻ってくるといいな」というのだが、エルヴィンは「別に!全然平気だ!もう警察に捕まったり死んじゃってるかもね!」というのに対して、「そんな考え方よくないだろ。悪い方に考えて心の準備しとくなんて、カッコ悪いと思うぞ。」という場面があって、心に残った。

彼は捨て台詞を残して走り去っていくのだが、大たちが食うものにも困ってるのを知って大家の女性にそれをいったことによって、彼女が大たちにチキンを振る舞ってくれた、ということがあった後、エルヴィンを探し回っていたら彼が訪ねてきて、「俺はあらゆることに準備し続けるんだよ!」と改めていうので、大が「エルヴィンは強えなあ。でも俺はお前の父ちゃんが帰ってくるって信じてるからな。」という。そうすると感極まってエルヴィンは泣き出してしまうのだが、そうだよなあと思った。

何度もこの場面を反芻して、結局買ったわけだけど、それは自分の中で思うことがあったからなわけである。

昔の友人と話していた時に、自分はいつも最悪のケースを考えて行動する、と言っていて、その時はそれで納得感があったのだが、どうもなんとなく心に引っかかるものがあり、そのうち最悪のケースを先に考えるのはよくないんじゃないかと思うようになり、今はあまりそうしないようにしている。

「最悪のケースを考えるのは心が強い」ということもできるが、何か納得感がないのはやはり大のいうように何だか知らないけど「カッコ悪い」感じがするからだなと思った。もちろん根拠のない希望に縋るのもかっこいいとは言えないが、やはり悪い方に考えてシニカルになるよりも、良い方に考えてポジティブにトライしていく方がカッコ良くは見える。悪い方に考える方が「正しい」のかもしれないが、良い方に考える方が「カッコいい」ということなのかもしれないと思った。

これは「ふつうの軽音部」の25話で鳩野が藤井彩目に「私は鳩野のことをバカにして笑ったのに、なぜ自分をバンドに誘うのか」と尋ねるのだが、鳩野は「それを気にしてた時もあったけど、藤井さんはとてもギターがうまくて憧れてたから。私、みんな仲良しのバンドよりもカッコいいバンドを組みたいんだ」という場面を思い出した。「みんな仲良し」という「正しさ」よりも、「カッコいい」方が大事だ、ということだ。

そして彩目は鳩野の弾き語りを聞くのだが、歌もギターも失敗した演奏より遥かにうまくなっていて、特にボーカルが声が大きく特徴的であるのに驚く。「うちの高校なんかミーハーの集まりなんやから、わかりやすく歌うまくておまけに顔も良いようなそんなやつらだけが持て囃されんねん」と思う。現状を悪い方に考えて、「どうせウケないから」と自分を納得させようという心の動きである。

しかしさらに演奏を聴くうちに、ハッとして、「みんなには好かれんかもしれんけど、かっこいいわこいつ・・・」と思い、バンドに入ることを決める、という展開を思い出させた。

あやめは物事をシニカルに考えがちではあるけれども、だからと言ってそれでいいとは思っていなくて、結局「みんなにウケる」という「正しい」方を取るのではなく、自分が「カッコいい」と感じた方を取る、というまあ言えばロックな心を持っているわけである。それが37話の文化祭での「ジターバグ」の演奏中に「今でもみんなには受けへんやろと思ってるけど、「ナメてる奴らにはかましたらなあかんやろ!なあ鳩野!」」という最高のコマに繋がるわけである。今見たら37話は100万ビューを超えていたが、これはずっと無料公開になっている1話〜8話以来のことで、それだけ強い感動を与えたということなのだと思う。

何というか、「カッコよさ」というのは「正しさ」とはまた違う根本的な人間評価というところがあるわけで、逆境で人を勇気づけたり元気付けたりするのは「正しさ」よりも「カッコいい人間」であることも多い。いわゆる「名言」と呼ばれる言葉も、「正しい言葉」というよりは「かっこいい言葉」であることが多いだろう。それはもちろん表面的な場合も多いし、だからこそ「カッコよさ」というのは体系化することができないものだよなとは思うのだが、ああ、これは多分結構前にもnoteかブログに書いたことだなという気がしてきた。ちょっと調べてみたが出てこないのではあるが。

ただ「名言」を考えることによってそれがなぜカッコいいのか、なぜ人の心を動かすのかについては考えることはできるなと思った。むかし「名言集」みたいなものを作ろうとして友人に意味ないと思うと言われてやめたことがあったのだが、そういう趣旨で考えてみると、人の心を元気付ける言葉、勇気づける言葉の秘密のようなものが少し見えてくるかもしれないとは思った。

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kous37
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