岸田政権はなぜ今ひとつ信頼できないのか/天才たちの才能の暴力性とリアルな天才たち:「忘却バッテリー」と「ダイヤモンドの功罪」
10月22日(日)晴れ
冷え込んでいる。一度夜中に起きてまた寝て、4時半頃起き出したのだが、二度寝の起き際はもう寒かった。四時の気温は2.5度。天気図を見ると、綺麗に西高東低になっていて、この秋一番の冬型の気圧配置になっている。季節の移り変わりは早い。
昨日は夜のうちに東京に帰るつもりだったが、中央線の八王子高尾間の工事の関係で特急が高尾止まりになってしまうためやめて、今朝起きてから車で出かけることにした。朝やることだけやって出かけるのであまり時間がないが、いくつか書いておこうと思う。
昨日いろいろ考えていて思ったのは、岸田政権がなぜ今ひとつ信用できないかということなのだけど、やはり安倍さんが暗殺された後の統一教会問題への対応だろうと思った。
統一教会関係の人が安倍暗殺の後の世間の反応、特に左翼の人たちの反応について、安倍さんが暗殺されて「安倍死ね」がもうできなくなったからその代わりに統一教会が攻撃された、という見方でなるほどそれはあるよなと思った。統一教会がよくないのは確かだが、その異常な叩かれ方には何か気になるものはあった。喫煙者たたきとかも同じ感じがする。
そしてそれに岸田さんが乗ったのはいかにも良くなくて、どんなに外交に手腕を発揮してもどうも信用できないのはその辺に軽薄さを感じるからなんだろうと思う。自民党政権、保守政権はもっと重厚でないとダメだと思う。
そう考えてみて岸田さんがいまいち信用できないというか信任できない自分の中の理由がよくわかったのだが、つまりはこの統一教会問題に対する対応の軽薄さなのだ。国内の様々な問題に対する定見を本当に持っているのか、と思ってしまうところがある。繰り返しになるが、保守政権は重厚でなければいけない。岸田さんは巧みではあるのだが軽いのだ。
外交に関しては安倍さんの敷いた路線を継承しつつ、割合上手くやっているように思える。安倍さんは改憲派のタカ派イメージから「ポリシーのある政治家」というイメージが強かったが、外交に関しては巧みにバランスをとりつつ中国や韓国をうまく牽制していた。しかしロシアに関してはかなり深入りしてしまって、ロシアのウクライナ侵攻で先見性の不足が露呈してしまった感はある。これはその時の選択なので安倍さんを責めすぎることもできないが、対露交渉で今まで積み上げてきたことがロシア側の問題で水泡に帰すのは残念なことではあった。
岸田さんの外交はサミット首脳を広島に招いて慰霊碑に献花させるなど日本の戦争と戦後の総括がある意味できた感じはあるし、ウクライナについても国際法の原則を重んじてウクライナ支持・支援を強く打ち出すなど的確な対応は取れていると思う。ただその辺りが的確すぎて大丈夫かという感じはなくはないのだが。
今回のハマスのイスラエル侵攻に関する決議案でも議長国ブラジルの出した決議案にイスラエル全面支援のアメリカは反対し、日本にも棄権するように求めたが、日本は「ブラジルの決議案は、人道面に重点を置き、国際法に従っており、良くできた案だ。アメリカがアラブ諸国の信頼を失う中、日本まで同じことをして、アラブと対話できなくなったらおしまいだ。中東への強化を図るロシアや中国にすべて獲られてしまう。」として賛成に回った。これは正解だったと思う。ハマスには強く非難すべきであるけれども、だからと言ってイスラエルの侵攻がもたらす人道上の破滅を受け入れるべきとは考えにくい。アメリカも相手がイスラエルでなければこういう対応はしないので、パレスチナ問題について中立的なポジションを取ってきた日本であるからこそ、イスラム教諸国との対話のチャンネルを維持できるということは重要だろうと思う。
軍事力を背景に世界をリードするという選択肢のない日本としては、適宜国際関係のバランスをとりながら日本の国益と世界の公正さを維持発展させていく外交しかできないわけだから、このような外交の名手が日本の舵取りをしていることは悪くはない。ただその巧みさをもっと内政面でも発揮できれば良いと思うのだけど、原則論を先行させていけばある程度のことができる外交とは違い、利害関係の調整が大きな意味を持つ内政においてはそれなりの政治的腕力も必要になってくるわけで、揺れ動いているように見えるのは外から見ると信用していいのかよくないのかがわからないところが不安だということなのだと思う。
統一教会問題に関しては、とにかく安倍さんの暗殺後に統一教会批判が強くなったことで結果的に犯人=テロリストの望む方向に事態が動いてしまったことはいかにも問題があったと思う。そのことがなぜ理解できなかったのかはよくわからないのだが、安倍派の精力を弱めるために黙認したと勘繰られているのも重みに欠けるという感じはする。
トランプ時代に安倍さんが政権を取り、バイデン時代に岸田さんが政権を取るというのはまあうまくいっているとは思うのだが、これからも世界状況が変化していく中でより困難な事態も起こってくると思われるし、内政も財務省の方向性にもっと踏み込んで違う方向を出していく必要も出てくると思うので、まあこれからが政権の正念場ということなのかもしれない。なんの間の言っても現首相は岸田さんだから、期待するしかないかなとは思う。
野球マンガのうち最近面白いと思っているものに「忘却バッテリー」と「ダイヤモンドの功罪」があるのだが、このに作品に共通しているのは、天才的な選手=投手の陰で挫折していった多くの選手たちの姿が描かれていること。「忘却バッテリー」では投手清峰・捕手要の天才コンビが多くの選手を挫折させながら、要の記憶喪失で一からやり直しになり、たまたま同じ高校になったかつてのライバルたちとチームを作って強豪たちと戦っていく、というドラマになっている。その天才性・怪物性がこの物語構造で弱められているのだけど、やはりこの物語は二人の天才がいないと(記憶喪失になった要がバカになっているというのもこの物語のキモではあるのだが)成り立たない。ギャグ要素を満載にしつつもドラマとしてとてもよくできている(現実離れしたところもあるが)ので読んでいてどんどん引き込まれる。
「ダイヤモンドの功罪」の方はもっとエグい構造で、スポーツの天才の主人公が野球に興味を持ち、ピッチャーになったが同じ学年ではその球を捕球できるキャッチャーがいないという状況で、周りの指導者・大人たちがこの「ダイヤモンド」をめぐって正常な感覚を失っていく様がエグい。日本代表チームに入ってようやく補給できるキャッチャーに巡り合うものの、生来の優しい性格で相手のことを考えすぎてしまうために「手加減」してしまったりして周りの選手たちと衝突したりする。代表チームの監督・コーチ陣は流石に彼らをうまく導き、世界大会では段違いの身体能力を持つアメリカさえもねじ伏せて優勝するのだが、監督のもとで野球を続けたいと願う主人公に対し、自分の息子と同じチームに入れることで限界を感じさせてしまうことを心配した監督はそれを拒否する。この辺りは子供達の無力感と大人のエゴみたいなものがリアルなだけにエグい。
「忘却バッテリー」では「同学年の者たちの戦意を失わせた怪物バッテリー」は過去のものとして物語がリセットされるところから始まるから、その怪物・異物ぶりが中和されているのだが、「ダイヤモンドの功罪」はその異物ぶりとそれに裏腹の繊細な少年の感受性みたいなものの対比が読むものに理不尽な印象を与え、それが物語の軸になっているわけである。
若き天才の存在のリアルさ、というのはやはり大谷翔平選手や藤井聡太八冠など、天才たちが現実に存在するようになったからこそリアルに感じられるようになったのだろう。昔からこういう天才ものはあったけれども、「そんなやつ現実にはおらんやろ」という違和感でなかなか成功しなかったように思う。
それを考えると現在はまさに「天才の時代」なのだが、それだけに「天才がいるということはどういうことか」という問題がクローズアップされてきたのだろうなと思う。現実に身近に天才がいるという例はそんなに多くはないと思うが、物語としてのリアルさは十分成立するようになった。それがいいことなのかどうかはよくわからないが、世界の幅が広がったようには思う。こじんまりした日本の箱庭的環境と天才の取り合わせはいかにも食い合わせが良くないのだが、そういう問題意識で「天才と共存できる社会」みたいなものが受け入れられていくと良いなとは思う。いろいろな分野、特に政治や産業の分野において、次の天才の出現は、今の日本には必要なことだと思う。