2025年(令和7年)はどういう年になるのか。平成7年(1995年)や昭和7年(1932年)を例に考えてみる。
1月2日(木)晴れ
昨日は元日で朝の新年の食卓には十二人。それぞれに今年の抱負を語ったりお年玉を渡したり。午後は諏訪大社の下社秋宮に参拝に行き、そこで姪夫婦は松本へ、帰ってきて弟たちの一家は帰京。母と妹、甥と姪の四人がが残って五人の夕食。その後話をし始めたらなんだか白熱して1時くらいまで話してしまった。途中からラガブリンを飲み始めてなんだか結構飲んだ気がするが、起きたあとは体の反応が残ってない。やはり高い酒はいい。
2025年という年はどういう年になるのか、ということはまあ私はまだあまり考えてなくて、45の2乗だな、くらいしか考えてなかったが、令和7年ということで過去の7年を考えてみた。
平成七年は1995年、1月に阪神大震災、3月に地下鉄サリン事件が起こり、一連のオウム真理教事件が始まった。あの時は村山政権、自民・社会・さきがけの連立政権である。現代は自民公明の連立政権・少数与党で国民民主や維新の部分的な協力でなんとかかんとか維持している、という類似点がある。昭和七年は1932年、五・一五事件が勃発し首相犬養毅が暗殺された。日満議定書が締結され、満州国が成立した。大正7年は1918年、米騒動で寺内正毅内閣が倒れ、平民宰相・原敬の政友会内閣が成立する。原の諸々の政策が戦前の日本のある種の完成形を作っていく、節目の年でもある。明治7年は1874年、民撰議院設立建白書が提出され、前年の明治6年政変で下野した板垣退助らを中心に自由民権運動が始まった年でもある。
というわけで7年という年は新たな時代のスタートを切る、というような年になっていることが多いようだ。令和7年がどういう時代の幕開けになるか、前年にすでに予兆がある動きが本格化する年でもある、と考えることもできる。
財務省主権が国民主権に戻ってくる、みたいな考え方もできるし、キャンセルカルチャーの跋扈がストップする、という年かもしれない。トランプ政権の成立で世界がどう変わるか、という年でもあるし、昨年のシリア革命が中東と世界にどういう変化をもたらすか、というのが焦点になる年でもあるだろう。
いずれにしても、昨年一年に起こったことが新しいトレンドとして奔流になる年、という感じが7年という年にはあるから、昨年のことをもう一度振り返ってまた考えてみると良いかもしれないと思った。
また時間がある時に、続きを考えます。