厚い中間階級が民主主義を支える/「一億総中流」の復活が理想

6月12日(曇り)

夕方や夜に少し雨が降ったようなのだが、またすっきりしない梅雨らしい天気。ちょっと中途半端に人に合わせるような事態になり、なんか変な疲れ方をした。普段が基本的に完全に自分のペースでやっているので、もっと自分のペースにすればよかったのだがなんか疲れていたのと時間が中途半端だったからなのだよな。まあたまにはそういうのもいいかと思ったり。

昨日は民主主義を支えるものということで中小事業者の税制優遇措置を撤廃するのは民主主義の基盤階層であるブルジョア・プチブルジョアにとってあまり良くないというようなことを書いたのだが、まあこういう言い方をするとあまり届かない、反応がないんだなと思ったのだけど、言葉を変えて言えば「厚い中産階級・中流階級が民主主義を支える」ということなのだよね。これは間ある意味常識なわけだけど、それをプチブルジョアとか中小事業者と言い換えると途端に無関係だと思われるということなんだなと思う。日本がいかに給与生活者の国かと改めて思うのだが、まあ中産階級が民主主義を支えるというのは理解してもらえると思うし、比較的格差がない、「一億総中流」の状態が日本における民主主義のある意味理想な状態だというのはまだ理解してもらいやすいかなと思った。

だから中間階級を厚くすることが大事だし、それは給与生活者のレベルで言えば現在非正規になっている人たちが正規雇用になるとかそういう形で下層中産階級から無産階級に転落しそうな人たちをなんとか中流レベルに留めるための政策を打つということで、中小事業者の優遇措置を維持するというのも文脈的には本来は同じことなのだが、維新などの新自由主義的な政治集団が煽ってきた「優遇されている人たちへの反感」にまだまだ乗っかってる人が多いんだなと思うけれども、厚い中間階層を維持し回復するためには中間階層の下の方の人たちをまず支える政策をうち、また下層からより上に上ろうとしている人たちを奨学金や授業料免除などの優遇措置を取ることで支えていく必要があるのは分かりきったことだ。

アメリカのように徹底的に上下の格差がはっきりした社会を望む人たちは一定数はいると思うけど、今の日本は自分が優遇されることは特には求めない(多分足を引っ張られるのが嫌なんだろう)が人が優遇されていることはなんとしてでもやめさせるみたいな感じになってて、それでどうやって社会を支えていくのかまでは見えていない感じになっているのが良くない事態だなと思う。

まあこれは地味な主張だしあまり注目もされないかもしれないが、きちんと言っていかないといけないことだなと改めて思った。

いいなと思ったら応援しよう!

kous37
サポートありがとうございます。記事内容向上のために使わせていただきます。