日本とアフリカに共通する根菜の食文化:ヤムイモ、タロイモ、キャッサバと、里芋とゴボウ
5月4日(木・みどりの日)晴れ
昨日は午前中に松本の整体に行き、蜻蛉返りで下諏訪の西友でお昼の買い物をしたあと帰宅、ご飯を食べて午後から仕事。忙しかったのでいろいろやる暇はなかったが、午後に妹たちが帰省してきたので夜は皆でご飯。天ぷらをあげてもらって美味しかった。整体に行ったのとゆっくり話したせいか夜はよく眠れたようで、目が覚めたら5時。目が覚めたら外が明るかったのは久しぶりだ。起きてから雑誌を縛って資源物回収に出しに行き、ジャンプラを少し読んで、これを書いている。
「岩波講座アフリカ諸地域」昨日は米田信子「歴史言語学から見るバントゥー系民族の移動」を読んだのだが、言語学的な関心があまり高くないのでよくわからないところが多かったのだけど、カメルーンあたりから移動するときに熱帯雨林地域が障害になって進めなかったのが、高古気候学の知見から2500年前くらいには熱帯雨林が乾燥化して回廊的にサバンナが出現していて、その時期にそこを突破して南部アフリカに広がったのではないかという推測がなされていて、それは面白いなと思った。ただその辺は考古学的な知見とは必ずしも一致しないそうで、こういう研究は常に試行錯誤が必要なのだなと思わされた。
石川博樹「一皿の料理が問いかけるもの」というコラムでは、「コロンブス交換」という言葉を知った。これはコロンブスの航海後に新世界と旧世界の間でものや感染症が行き交ったことを指しているのだという。新世界の作物が旧世界にもたらされた例が数々あるのは知っていたが、そういう言葉があるのは知らなかった。
新世界からアフリカにもたらされた作物で重要なのはキャッサバ芋ととうもろこしだそうだが、キャッサバは伝わった当初から栽培が盛んになったそうだが、とうもろこし栽培が盛んになったのは植民地時代以降だという。
日本の古層文化でもサトイモを食べる文化はかなり古いというのを読んだことがある。ごぼうなどもあれを誰が食用にしたか不思議なものだ。戦時中に戦地で捕虜になった英米蘭の兵士にごぼうを食べさせたら「木の根を食べさせた」と言われて戦犯にされたという話を聞いたことがあるが、ごぼうが食品であることを知らないとそう思う人はいるだろうと思う。ペリー来航の時にたけのこを炊いたのを出したら食品だと思われずに食べなかったとか、そういう話は結構あるのだが、アフリカでキャッサバが当初から普及したのは、もともと根菜食文化があったからではないかと思い、少し調べてみると現在でもアフリカはイモ類の消費量が非常に多いということを知った。
世界的に見れば穀類の方がイモ類に比べて2.5倍を占めるがアフリカではほぼ同じなのだという。ヤムイモ、タロイモは熱帯アジアから到来したというからマダガスカルに到来したのと同じくマレー系の民族がもたらしたものだと思うが、現在でもヤムイモの98%、タロイモの60%はアフリカで生産されているのだという。
地域的な分布に関してはもう少し調べないとわからないけれども、上記のサイトには「西アフリカから中央アフリカにかけての地域は根菜農耕文化圏と呼ばれ、ヤムイモなどのイモ類は日常の祭事にまで用いられるなど、多様なイモ食文化がみられる」とあり、イモが山積みされた写真は圧巻である。
農業支援の観点から見ると「アフリカ在来のヤムイモ、タロイモ、モロコシ、ミレットなどはこれまで研究開発の対象にされてこなかったために、いまも低い生産性にとどまっている。」そうで、「イモ類の生産性改善については、ヤムイモの一種である長芋や自然薯(じねんじょ)、タロイモの一種である里芋などに高い生産技術をもつ日本やアジアの国々が支援できるだろう。ヤムイモとタロイモの生産性は日本や台湾では20トン/haであるが、アフリカでは9トンほどである。」というのはへえっと思った。というか日本でヤムイモが栽培されているということは初めて知った。
「これらのイモ類の生産に関しては、欧米の支援は得られない。ヤムイモやタロイモは欧米ではほとんど栽培も利用もされておらず、ノウハウや研究者が少ないからである。」というのははなるほどと思う。そういう分野でも日本がアフリカに貢献できれば、国際戦略上もポイントを上げることはできるかもしれないと思った。
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