イスラエルについての二つの見方:「国連や国際社会」に対する不信感と侮り/「10月7日の恐怖と屈辱」への強い囚われ
10月5日(土)雨
今朝も朝から雨が降っている。昨日は遅くに甥が来た。荷物を置かせてくれと頼まれていたのでそれで来たのだが、もう遅いから朝になってからにしようということになり、夕食を食べてから話をしていたら学問とか人生の周りのことで話が弾んで12時半ごろまで話してしまい、結局4時には目が覚めてしまったので寝不足である。
昨日読んだイスラエルについての考え方の二つの意見。それなりに見るべきところがあるなと思い、自分のイスラエル観の形成・修正に役立つなと思った。
一つ目は田中宇さん。
「イスラエルは国連や国際世論が大嫌いで馬鹿にしている。国連の仲裁など受ける気もない。だからグテレスを「懲罰」できる。イスラエルは、米欧覇権が続く限り、米欧を傀儡化しつづける。」
私はイスラエルの傍若無人ぶり、暴走ぶりを今の世界で誰もセーブできないのが現代世界の最大の問題だと思う。その分イスラエルの夜郎自大ぶりが極まってきている。イスラム勢力はどうしても反米という傾向を持ってしまうので、なかなかアメリカを抱き込めない。結局世界がネタニヤフの意図通りに進み、アメリカを対イラン戦争に巻き込む可能性は消えていないように思う。イスラエルがイランに対する報復として石油施設を攻撃することでもし原油の値段が高騰したら米民主党政権には打撃になり、ネタニヤフが望むトランプ政権の実現への追い風になる、という懸念はかなりある。
ネタニヤフがグテーレスを出入り禁止にしたことに端的に表れてるが、イスラエルは国連とか国際社会とかを信頼してない、というかむしろ嫌っている。つまりは自分の生存を第一に考え、自分の理屈とか自分の見えてるものしか信頼できない姿勢で、国際協調についての優先度は非常に低い。それもまた罪悪感にとらわれてる欧米をこき使って我が世の春を謳歌できているからこそではあるのだけど。欧米政界におけるユダヤロビーがいかに強いかということではある。
もう一つは立山良司さん。
「イスラエルは攻撃や暗殺を繰り返すことで10月7日の恐怖や屈辱を少しでも癒そうとしている」
これについてもなるほどと思った。イスラエルという国を成り立たせているのはシオニズムという思想であるわけだけど、それにはユダヤ教に由来する選民意識と、迫害の歴史に由来する被害者意識と、植民という行為からくる必然的な帝国主義という側面があって、2023年10月7日の事件はその三つの側面に非常に強いショックを与えた、ということは言えるのだろうと思う。
外部から見れば過剰なまでに相手を叩き潰すのも、そうしないと安心できないというメンタリティがあるからだ、と言われたらそうなんだろうなという感じはする。そこにはつまりは立山さんのいうように合理性はないわけで、周りの国々の制止も効きにくい状況なのだろうなと思う。
いろいろ考えてみても今のイスラエルを止めるには合理主義に立ち返る契機がなければならないと思うのだが、なかなかそれは見えてこない。イスラエルの非合理的な行動はハマスやヒズボラを一時的に弱体化させ、イランもアメリカと本格的にことを構える準備はないから徹底的には対抗できない状況ではあるのだけど、それは当然ながらイスラム勢力側の静かな怒りを買っているわけで、暴力と報復の連鎖を断ち切ることは今の所可能性は見えにくいなと思う。