日本の古き良き時代
12月4日(土)晴れ時々曇り
中公新書の「大平正芳」が届いたので読んでいるのだが、いろいろと面白いというか、考えさせられる。
佐藤栄作長期政権が終わろうとしている1971年に総裁選出馬を睨んだ頃に行った講演の内容にこういう一節がある。
「わが国は、今や戦後の総決算ともいうべき転機を迎えている。これまでひたすら豊かさを求めて努力してきたが、手にした豊かさの中には必ずしも真の幸福と生きがいは発見されていない。ためらうことなく経済の成長軌道を力走してきたが、まさにその成長の速さのゆえに再び安定を志向せざるを得なくなってきた。なりふり構わず経済の海外進出を試みたが、まさにその進出の激しさの故に外国の嫉視と抵抗を受けるようになってきた。対米協調に運命を委ね、ことさら国際政治への参加を避けてきたが、まさにドル体制の弱化のゆえに、険しい自主外交に立ち向かわなければならなくなってきた。国を上げて自らの経済復興に専念してきたが、まさに我が国の経済の成長と躍進の故に、国際的インサイダーとして経済の国際化の担い手にならざるを得なくなってきた。これはまさに転換期であると言わねばならない。」
当時の大平の現状認識であるが、これは当時、左右を問わず、多くの人たちの現状認識であったとも思う。
現実には、まだ水道や電話などのインフラも全国に完全に行き渡ったわけではないし、新幹線も東京と新大阪の間にしかなく、高速道路も東名名神とそのほかの延長しかなくて、今考えるとまだまだ貧しい時代だったのだけれども、当時の人たちにとってはそれでも過去の時代、特に終戦直後の何もない時代に比べて豊かになったという実感は持っていただろう。
そして現在は、まさにそうしたいわば「物質的な豊かさ」が不足している人たちが多く生まれ、むしろ当時の人たちの悩みは「贅沢な悩み」であると感じられるわけだが、いわば「馬車馬のように国全体が経済復興に専念してきた四半世紀」の後で、ふと立ち止まって考えた自意識というようなものがそこにあるのだろうと思う。
そういうことを考えることができたということ自体が、今考えると「日本の良き時代」であったのだろう。それが50年前であることを考えると、「古き良き時代」であるということになるわけだが。
世界的な転換期というよりは、これは日本という国の置かれている立場が変わってきたということであり、特にアメリカが戦後世界、特に西側世界の唯一の牽引車であった時代が終わりつつあるという上でその世界の態勢から利益を享受してきた日本が、その回復した国力に応じた役割を国際的にも果たしていかなければならないということに対する戸惑いのようなものもある。
というのは、まだ戦後26年で、「戦争の傷跡」のようなものは世界の人々の心の中にあり、特に日本は連合国側の洗脳を受けて、戦前世界において日本中心のリーダーシップを取ろうとして失敗したトラウマが残っていたからであり、国際社会においては経済的には暴れるが政治的にはなるべくおとなしくしていたい、というメンタリティが強かったからだ。
戦前から政治を担ってきた人は、白洲次郎のように「我々は戦争に負けただけで奴隷になったわけではない」という意気込みを持ち、米ソ何するものぞという考えの人もあったかと思うが、建前としての全方位外交・平和外交と現実としての対米従属の日本外交において、現実にも独自外交を展開しようとした田中角栄がロッキード事件でアメリカに狙い撃たれて失脚し、その後の日本の外交政策は建前としても全方位から対米協調、「日米同盟重視」という方向に舵を切っていくことになる。
これは田中がニクソン以降のアメリカの凋落を奇貨としてアメリカから離れようという姿勢を見せたとアメリカ側が判断し、強烈な報復に出たものと考えて良いと思うが、それは戦後も繰り返し「戦火を交えない対米敗戦」を繰り返した日本の歴史の一コマだったのだろうなと思う。
アメリカに従属しつつ大国化せざるを得ないという矛盾を孕んだまま世界でのポジションを広げていったけれども、肝心なところでアメリカとの対立が起これば日本側は常に負けてきたわけで、このトラウマはより深刻になってきているし、アメリカに向き合う意識もより屈折し、複雑なものになってきている。韓国や中国との関係も、どうにも大人の関係ができないのは彼らに問題があるのはもちろんだとしても、日本側にもアメリカに対する鬱屈が東亜の諸国への感情に影をさしてなくはないだろう。
大平は先の発言を受けて、以下のようにいう。
「この転換期に処して、これからの方向を誤らないことが政治の使命である。我が国民は、確かにこの試練を乗り切るに足るエネルギーを持っている。ただ、このエネルギーの活力ある展開を促すためには、政治の姿勢を正し、制作軌道の大胆な修正を断行しなければならない。」
大平は池田以来の経済成長路線、「所得倍増計画」や「全国総合開発計画」だけでは不十分である、というよりもそうした経済成長路線からの転換を図った政治家だと考えるべきだろう。当時は多くの人々、特にインテリにとっては当然の方向性だっただろうと思うのだけど、現在になってみるとそれが良かったのかという疑問は感じざるを得ない。
経済的には70年代は高度成長は終わったものの2回の石油ショックを世界で最も上手く切り抜け、経済的な存在感は60年代よりもはるかに高まった。80年代には左派の過激派による政治闘争も終焉を迎え、バブル経済と言われた状況に突入する。そして92年前後のバブル崩壊とともに、日本は長い衰退の時代に入ることになる。
高度成長の20年の後、転換期のゆえに日本の国際的経済的存在感が最も高まった20年を経て、その後の日本は低迷の30年に入ったわけだけど、ここ20年の新自由主義的な改革で状況が改善したと考える人たちと悪化したと考える人たちの溝はかなり深くなっているように思う。
岸田内閣が「所得倍増計画」「田園都市国家計画」といった日本の「古き良き時代」の復活を歌うスローガンを掲げた今、日本の来し方を見直し、行く末を考えていくのに大変相応しいタイミングであるように思う。