トランプ政権の成立前に、改めて保守主義思想について考えてみる

1月9日(木)曇り

今朝は寒いことは寒いが物凄く寒いと言うほどでもなく、今の気温はマイナス1.9度。また各地で雪が降っているようなのだが当地では昨日の夕方に少し雪が降ったよう(帰る時に車に1センチほど積もっていた)なのだが、路面が走行困難になる程は降っていない。

「ハザール」を読んでいるのだが、ハザールが周辺諸国と対抗するためにイスラム教でもキリスト教でもなくユダヤ教を選択したために危機に陥った時も助力を頼む相手がおらず、キエフ・ルーシに滅ぼされたと言うことが共産主義という思想を選択したために同様に助力が得られなくて滅びたソ連に似ているという指摘が心に残っている。

ハザールを滅ぼしたキエフ大公のスビャトラフ1世の時代は、まだその子ウラジーミル1世がギリシャ正教を選択する以前のことなのでキリスト教世界によって滅ぼされた、というわけではないのだが、ビザンツにもイスラム勢力にも援助を仰げなかったという点では正しいだろう。

現代において、ソ連型の社会主義国を標榜し実現しようとする国は基本的には無くなった。その実現形態として一党独裁ないし個人独裁の形を守ろうとする国は現在でもあるし、それに近い権威主義的形態を取ろうとする国は社会主義の影響を受けた、ないし支配下にあった国々を中心にないことはないのだが、「マルクス主義」を国是に掲げている国はほとんどない。

ただ、1970−80年代まで、マルクス主義とその分派的思想であるマルクス・レーニン主義や毛沢東主義が世界の希望であり実現すべき人類の理想的計画である、というような考え方は一定の力を持っていた。ソ連型社会主義社会の実態が明らかにされてきたことと資本主義社会における物質文明の発展、幅広い自由のあり方の容認が進むにつれて「自由への憧れ」「豊かさへの憧れ」が強くなり、崩壊するに至ったというのが大まかなストーリーだろう。

ただし、政治的・軍事的には、特に第二次世界大戦後は資本主義・自由主義社会のチャンピオンのアメリカと計画経済主義・共産主義社会のチャンピオンのソ連が政治的にも軍事的にも激しく対立し、また時に協調の姿勢を見せ、欧米や日本などの戦前からの工業化・社会の「近代」化を成し遂げた国でもより折衷的な社会体制を目指す勢力もあり、また近代化以前の国々でも「自由主義と社会主義のどちらをモデルとして選択するか」という選択肢が提示されていて、社会主義を選んだ国も少なくなかったわけである。

そうした理由の一つには20世紀後半の共産主義ー自由主義・資本主義の対立軸以前に存在した自由主義・市民主義ー絶対主義・君主制及び貴族制の対立軸、つまり市民革命の対立軸において国民の自由というものに対する恐れ・懸念のようなものが指導者層にあり、より統制・党指導主義的な共産主義・社会主義を選んだ、という側面もあったのではないかと思う。つまり前近代の残滓が自由主義よりもより進歩主義的に見える共産主義を選択させた、という側面もあるだろう。これは旧社会主義権が崩壊したのちにより保守的な価値観がそれらの社会に残っていたということからも十分あることだろうと思う。

もう一つの理由は啓蒙主義的・価値観押し付け的な自由の宣教師・アメリカに対する反発・反感からより現実主義的な受け入れ姿勢を見せるソ連の方が支持されたということで、この辺りはロシアがアフリカ諸国などに今でも大きな影響力を持っている(ウクライナ戦争とシリア失陥でだいぶ怪しくなったが)ということにもつながるだろう。

そして現代の対立軸は、アメリカ国内でも大きな対立になっている保守主義とリベラリズム(フェミニズム・ジェンダー・ポリティカルコレクトネス・多様性・環境主義)の対立といっていいだろう。トランプの勝利はアメリカが分断される中でキリスト教保守主義や反リベラリズム的保守主義が相対的に大きな力を回復しているということであって、それらがまたどのような変化を呼ぶかはまだ見えてこない。

1期目のトランプ政権はより内向きというか、アメリカ第一主義で世界の警察から手を引くという動きを見せていたが、今2期目就任前のトランプはグリーンランドやパナマ運河をアメリカによこせとかカナダを併合しろとかあまり内向きとは言いにくい主張をするようになっていて、この辺はまだよくわからない。アメリカが領土を併合や購入で拡大してきた国であることは確かだからその延長線上と言えなくはない。ただトランプに統一的な思想があるかというとそれも疑問なのでその主張や現実の動きを見ながら考えていくしかない部分もあるようには思う。

トランプ政権の成立に伴って多様性・環境主義・ポリティカルコレクトネス(ファクトチェック)などのリベラリズムを推進してきたアメリカ企業がさっさと方向転換しているのを見るといわゆるDEIもどのように変化していくかは見通せないところはあるように思う。アメリカの変化に素直に追随しないのがヨーロッパ諸国だからまだ当面はそういうものは残るのではないかと思うが、いわゆる「行き過ぎたポリコレ」は是正される方向になるのではないかと思うし、されるべきだろうと思う。

日本の対立軸は現役世代重視の自民党保守派支持層・国民民主党支持層と高福祉(含むリベラリズム政策)政策維持の自民党リベラル派・立憲民主党その他支持層になりつつあるように思うが、政治資金問題などというくだらない問題で自民党保守派が交代した結果、国民民主党の支持率が立憲民主を超えて第二党になるという現象を生んでいる。高福祉政策は根本的に官僚主義と相性がいい(分配権力を掌握できるから=ソ連のノーメンクラツーラと同じ)ので官僚が仕掛けた悪宣伝がマスコミなどでも行われているけれども、国民の多くがより多くの配慮を現役層に求めるようになってきているのは間違い無いだろう。

ただ世界の構造の歴史的変化というのはそういう社会政策的な立場からだけでなくよりテクノロジカルなところからも起こっているわけで、最大の変化は全世界的なスマートホンの普及というところにあるのだと思う。スマホの普及により情報収集や情報交換の障壁が世界的に根本的に低くなったことが様々な政治活動を可能にし、それを一瞬にして世界に伝えることで協力者を得やすくしているという変化は、人類が経験したことのない状況だろうと思う。もちろん情報通信技術の発達は今までも世界を大きく変えてきてはいるのだが、完全に個人が情報収集能力・情報伝達能力を持った時代は今までになかった。

それに伴って権力を持つ側や権力を転覆しようとする勢力の側も情報発信がより巧妙になり、科学や伝統的学問の枠組みをはるかに超えて擬似宗教やスピリチュアリズム、人心扇動術などいわばさまざまな人類が構築してきた負の遺産まで含めて動員して人の心を動かしていくようになりつつあるわけで、文章から動画へと発展してAI技術まで駆使してどのようなメソットがこれから展開していくのかは見当もつかないところがある。そして新しい技術により親和的な思想がより有利になっていく側面もあるのだろうと思う。

こういう時代にあって保守主義を唱えるというのはどういう意味があるかといえば、つまりは法隆寺の塔がなぜ千数百年風水害や地震にも耐えて倒れなかったのかということでもあるのだが、どんなに外力が加えられても動じない安定力を持った心柱みたいなものとしてそれが必要だから、ということになるのだろうと思う。

進歩主義というのは理想を考えてそれを計画的に実現していこうという設計優先主義的なものであるわけだけど、保守主義というのは人類が今までに獲得してきた知見を重視してそこから見出される人間的自然というものをより重視していこうという考え方で根本的にあるように思う。

心柱というものが地面に接地せず、重力を使って建物全体を安定させるように、保守主義はその時々に変化しながらも人間的自然という重力の力によって社会全体を安定させていくものなのだと思う。

逆に言えば進歩主義は新たな発想によって常に新しい進歩主義が生まれ、社会主義や現代のリベラリズムのように「行き過ぎた進歩主義の弊害」が起こることもあるが、保守主義というのはどのような社会の変化にも対応できる部分がある、少なくともあるべきものなのだろうと思う。だからこそ人間社会は変化しながらも滅びることなく生き続けてこられたし、何か根本的な理由で人類が滅びることがない限り、今後もそうあり続けることができるのだろうと思う。

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kous37
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