「教養としてのハイブランド」オートクチュールとかディオールとか/カードを受け取り損ねる/スパイロジャイラ・シリア情勢・アフリカのことわざ
1月6日(月)曇り
昨日は11時ごろ車で実家を出て帰京。お昼過ぎに境川PAでモツ煮弁当を食べて、2時半ごろ帰宅。今回の帰京の目的の一つはクレジットカードを二つ取りに行くことだったのだが、両方とも郵便局の保管期限が過ぎていて取りに行けなかった。少し凹んだが2週間に一度の帰宅だとそういうことがある。以前は毎週帰宅していたのだがコロナで帰れなくなり、コロナが終わりかけてからも2週に一度ペースになっていたので、少し頻度を上げた方がいいのかなと思った。
暮れに家を出たとき洗濯機に接続する水道の蛇口から水が少し漏れていたので念のために元栓を止めて行ったのだが、昨日元栓を開けてみたら漏れない。何か圧力の関係かもしれないが、少しナットを締めておけば大丈夫なのかもしれない。回せる口径のモンキーレンチは買ってきたので少し様子を見ようと思う。
少し休憩してから4時ごろ出かけて神保町に行った。長野県に比べれば東京は暖かいはずなのだが、そう思っているからよけい寒さを感じるのかもしれない。ただ、田舎にいるときはほとんど車の移動なので温度を維持することの方に注力するけど、東京ではかなり歩くので最初は寒くてもしまいには汗ばむこともよくある。昨日も駅まで15分ほど歩く間に温まってきて、郵便局と銀行によって記帳してから地下鉄に乗って九段下乗り換えで神保町に出た。
昨日はずっとワイヤレスイヤホンで「ふつうの軽音部」リストに入れた曲を聴いていたのだが、何となく最近は不愉快になることが多い地下鉄の車内でもメンタルが変な方に崩れず、これはいいなと思った。書泉グランデでマンガを少し見、「ふつうの軽音部」5巻の特典つきの売れ行きをチェックしてみるとはーとぶれいくの4人のうちハトノのステッカーのものは売り切れていて、他の三人のは残っていたので、やはりはとっちが一番人気なのだなと思ったり。
東京堂でいろいろ本を見ていて、買うつもりもあまりなかったのだが講談社学術文庫の目録がほしいなと思い、それだけもらうのもなんだなと思って面白そうな本がないかと探したら、とあるショップの店長「教養としてのハイブランド」(彩図社、2024)という本が面白そうなので買ってみた。要するにファッションの歴史の本なのだが、今まで読んだ本といろいろ角度が違って面白い。
服飾の歴史というのはもちろん古代にさかのぼるわけだけど、業界的には業界そのものが成立した近代市民革命後の時代が重要なわけで、その画期になるのが1858年のオートクチュールという仕組みの成立だった、というのはなるほどと思った。今の高級注文服のルーツだが、それまでは布地を買ったり仕立てを頼んだりするのは全部別々のところに頼まなければならなかったのが、布地の選定・デザイン・仕立てとすべて同じ店で出来るようになったというのが画期的だったということだ。
これは日本でもそうで、今では呉服屋で布地を選んでそこで仕立ててもらうのが普通だと思うが、昔は布地だけ買って自分で仕立てたり仕立て専門の人に頼んだりするのが普通だったはず。オートクチュールという仕組みが服飾を産業として盛んにすることができた一つの大きなきっかけだったというのはよくわかった。
また、第二次大戦後のパリの服飾界で彗星のように現れたクリスチャン・ディオールを中心に、ユベール・ド・ジバンシイ、ピエール・バルマンの3人はみなリュシアン・ルロンというデザイナーの下で働いていた、というのもへえっと思った。少し調べてみるとルロンは大戦前のパリコレクションの中心人物で、サンディカ(服飾組合)の組合長も務めて、ナチス占領下のパリで占領軍と丁丁発止をしてパリのデザイナーの権利を守った人のようなのだが、戦後は三人の弟子たちがみな独立してしまい、ほどなく店を閉めたというのがなんだか気の毒だった。ブランドというものはココ・シャネルをはじめとしてデザイナーが交代することで受け継がれていく名前もあるが、特に昔は有望な弟子に独立されてしまって後継ぎがいなくなる、というようなこともよくあったのだなと思った。とはいえもう80年くらい前の話なわけだけど。
私は服飾にも興味はあるのだけどやはり「見方」がちゃんとは分からないところがあり、見かけだけでなくこういう業界の裏話というか歴史みたいなところをとっかかりにして理解していくのが自分には向いているなと改めて思った。アフリカについてもそうだが、やはり「歴史的アプローチ」というのが自分の性質と思考にはあっているなと思う。
東京堂を出て喫茶店に入り、ビーフカレーを注文。コーヒーはマンデリンにした。トイレに行っている間に隣に若い男性が座っていて、少し席をずらした。食べながら本を読んでいたのだが隣の男性が時々変な咳をしていて気になった。食べ終わって飲み終わったころにまた咳をしたのでもう少し座っていたい気はしたけどお会計をして外に出た。
もう一度書泉グランデを見回った後、帰ろうと思って新御茶ノ水の方へ歩いてから、やはりディスクユニオンものぞこうと思って少し見ていたら、スパイロジャイラのLPが100円になっていてえ?と思って何枚か見ていると、80年代のものが何枚もそういう値段だったので3枚も買ってしまった。合計で400円台である。
帰ってから聴いてみると盤質は確かにあまり良好とは言えないが針飛びもせずにちゃんと聞けるので十分かなと思った。やはり掘り出し物というものはあるのだなと思う。まあそれだけ売れたものなのかもしれないが。
新御茶ノ水に出て大手町で乗り換え、駅からのルートにあるOKストアで朝の買い物をして帰った。
夜はなんとなく「16」や「拝啓少年よ」を音を落としてキーボードで弾いていて、ちょっと盛り上がった。コード弾きしただけだけど、こういうシンプルな曲は弾きやすくていい。
シリアのヤムルーク盆地に侵攻していたイスラエル軍は年末に撤退し、国連PKO部隊が入ったようだと。現地民とイスラエル軍との衝突も起きていたようなので、撤退してよかった。
https://x.com/onigari_ijousya/status/1872591198948614371
アフリカのことわざ。
「ザンジバルで笛吹けば湖の人々が踊り出す」
ザンジバルはタンザニア沖合の島、現在はどちらかというと観光中心なのだろうか。オマーン系の王朝が栄えた歴史があって、インド洋交易で栄えた。湖の人々というのはビクトリア湖やタンガニーカ湖など、大地溝帯の大湖沼周辺に住む人々ということか。内陸まで深く影響を及ぼす力を持っていたということだろうか。日本で類似したことわざと言えば、「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ」などだろうか。