離島を舞台にした二つのマンガ作品:「これ描いて死ね」と「犬とサンドバッグ」
3月29日(水)晴れ
昨日はいろいろバタバタした、というか日曜月曜に東京へ行っているとこちらでいろいろなことが進行していることに対応できないし、先週やりきれなくて休日まわしになったこととかも含めて始末つけて回ることが結構多くなるので火曜日はばたばた、という感じになりがちだ。まあとりあえず最近の懸案はひとまず締められたかなとは思うのだが、別件もあるけど何とか片付けていきたいと思う。
小ふうにらは割と天気が良いのだが、東京は雨っぽいらしく、先週の日曜は雨の中であまり桜が楽しめなかったからどうも今年はタイミングが合わなそうだなと思ったり。こちらの桜並木は少しずつ枝の色が変わってきて、もうすぐ咲くんだろうなという感じになってきた。今日は空が青い。
「重版出来!」を読むために掲載されているときだけ月刊スピリッツを買っているのだが、たまたま他の作品を読む気になって読んでて面白かったのが尾崎かおり「犬とサンドバッグ」。月曜日に月スピを東京で買って帰りの特急で読んでいたのだが、面白くて昨日ツタヤに上巻を買いに行った。収録は5話までで月スピのバックナンバーは少ししか取ってないのだが、あと7話と9話を読んだ。上下巻なら次回最終回ということになるがあと1回で終わる感じでもないので上中下巻だろうか。この作品の存在を知っていたら毎月買っていたのになと思うのだが、雑誌を買っても掲載されているマンガを全部読む暇も気力もないのでこういうことはよく起こる。
読めるだけ読んでから作者さんのツイッターやブログその他を読んで情報収集し、「犬とサンドバッグ」の舞台の離島は愛知県三河湾に浮かぶ離島、南知多の日賀間島と篠島だということを知る。離島だけど「本土」とそんなに距離感のないある意味絶妙な立ち位置の「島」、天国の隣のようで深淵の隣のようでもある、「邪気のない間違いで弟を殺した」という原罪を背負って生きる20代の千真希(ちまき)と故郷を捨てて東京に出たものの、不倫の恋に苦しんで島に帰ってきた30代の日子(にちこ)とのほろ苦ラブコメディという感じだろうか。千真希の抱える原罪というのがまるで神話の世界の罪のようなつかみどころのない罪であるのに比べ、日子の不倫の苦しみはリアルだし、相手の男・侑(あつむ)も千真希が絡んでくるにつれ逆に本気になってきたりして、生々しい感じが対照的だ。
日子も千真希も、最初はお互いを「かわいそう」と思うところから恋がスタートしているのだけど、安っぽい同情はいらない、みたいなある種の通俗観念をある意味パロディにしているところがいいなと思う。私がこの作品を読もうと思ったのはこの日子というキャラクターがタイプだからというのが最も強い動機ではあるのだけど、それぞれのキャラが持つ微妙なボケ感というのもこうしたほろ苦ラブコメディには良いものだなあと思う。
他に出てくるキャラクターたちも何というか、ある種の類型感はあるのだが、ただ作者の表現の説得力というべきなのか、作者自身がそれぞれのキャラクターに持つリアリティが現れているというべきなのか、この人の作品を読むのは初めてなのでその辺は掴みきれてはいないのだけど、まあ良い出会いであったなと思う。
全くの偶然なのだが、もう一つ離島を舞台にした作品を読んだ。
Twitterでフォローしている「正反対の君と僕」「氷の城壁」の作者の阿賀沢紅茶さんのツイートを読んで、「正反対の君と僕」がマンガ大賞の3位に入賞したということを知った。この作品は好きで面白くて私の押しではあるのだけれども、やはり勢いのあるジャンプラで掲載されていることも大きいだろうなと思いつつ他の上作品を見たら2位が「あかね噺」でやはり最近の私の推しでもあり、なかなか嬉しかったのだが、1位のとよ田みのる「これ描いて死ね」は知らなかったので、どんな作品かとサイトをいろいろ調べて読んで回った。
小学館のサイトに第一話が掲載されていて、伊豆大島(作中では伊豆王島)の漫画好きの女子高生が好きな作者の新作を求めてナイショで島を抜け出しコミティアに行ってみたら、その作者が実は通う高校の口うるさい国語教師だった、という話。これは面白いと思い、既刊の1・2巻を買ってきて早速読んだのだが、やはりかなり面白かった。
こちらの舞台は離島といっても伊豆大島だから本土からはかなり離れている。島から船で本土の高校に通う「犬とサンドバッグ」の世界とは違う。それでも先生の知り合い(アシスタント時代の同僚であることがオマケ漫画で明らかにされる)が開いている古本屋をアジトにして漫画研究部が作られ読むだけで全然描かずに批評だけはかまし、アジト、いや部室でも一番いいスペースを独占する赤福さんとかが嫌味なく出てきてそういうのも面白いと思うのだが、主人公の相(あい)に誘われておずおずと参加する絵がメチャウマの旅館の娘・藤森心もいい。相は推しが国語教師・手島先生=☆野0(ほしのれい)なのだが、赤福は藤田和日郎、藤森さんは諸星大二郎だということで、私は一気に藤森さんが好きになった。
伊豆大島は私は2回行ったことがあるのだが、一度めは東京都の高校教員に採用された時の新人合宿、2度目は大島高校に赴任した先生を訪ねての同僚の先生との旅だったので、大島高校には行ったことがあるのだが、舞台になっている波浮港にある昔の大島南高校(現在は大島海洋高校になっていて普通科はないようだ)=作中では王島南高校には行ったことがない。作中にある階段を駆け上がったところにあるのはその高校ではなく中学校のようで、いろいろな要素を組み合わせて舞台にしているらしいということなど、Twitterで教えていただいて知った。
この作品はある種の「まんが道」でもあり(手島先生のキャラがどうみても藤子不二雄キャラ)でも「漫画家になるマンガ」というより「マンガそのものが主人公」だという話もネットを調べていて読んで、確かに簡単に言えばマンガ愛に溢れた作品だよなあと思って読んでいた。
何というのか、正直いってこの2作品とも、「全く新しい今まで読んだことのない斬新な作品」という感じではない。私は読んでないので知らなかったが、お二人とも20年選手のベテラン漫画家で、今までも多くの作品を送り出している。だから描き慣れているというか、昔読んだよなこういうの、とか20年前は新しかったなこういう表現、みたいな部分がなくはない。ただ逆に言えば、私の年齢から言えば同じ時代を生きてきた人とこの歳になって邂逅する楽しさ、みたいなものは感じる。そしてベテランになっても面白い作品はいくらでも作れるんだなという当たり前だがやはり巡り会うと嬉しい感覚も感じるし、それが評価されて賞を取ったりするのもいいなと思う。
作風を確立し、またその後で時代の変化に合わせて、ないしそれと戦いながらいろいろと描くものや描き方を変えていったのだろうなという感じもあるし、そういう部分は先日見にいった院展でも感じたのだけど、本当に時代というのは一つの場所で落ち着いておらず、どんどん変化するものだなあと思うし、その船に乗っている人間はあまりに変化が激しくて船酔いしそうになったりもしながらも、懸命に生きているんだよなと改めて思ったりする。
そういえば、最新号のスピリッツに掲載されていた「ダンス・ダンス・ダンスール」で映画を観た主人公順平の師で片脚を失ったダンサー・ニコラスが監督に「俺はあの声を失くした女と同じだ」という場面があるのだが、そこで監督は「それはそうさ。だって僕の映画のテーマはいつも同じだから。「生きること」だ!」と言う。そうなんだよな、マンガのテーマはいつも結局「生きること」なんだよな、と改めて思ったりした。
つまり、「斬新さ」がマンガにおける「時分の花」であるとしたら、「生きることをいかに描くか」と言うことがマンガにおける「まことの花」なのだよな、と思ったのだった。
マンガと出会えたことに、改めて感謝している。
それにしても今日は全部小学館の作品だった。
書くことがないわけではないのだが、今日は保守関係の記事はお休みにします。
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