国民民主党の主張「103万円の壁撤廃」はメリットが大きいのではないか/西尾幹二さんの訃報と共産主義国家の全体主義性が忘れられていく問題について/日本プロ野球のポストシーズンのあり方の難しさ

11月2日(土)雨

今日は朝から雨が降っている。西日本ではかなり強く降っているところもあるようだ。当地はそんなに豪雨の予報は出ていないが、あまり降り過ぎないでくれると良いがなあとは思う。この時期の雨は、一雨ごとに秋が深まっていく感じがある。

昨日は午前中母を病院に連れていき、その帰りにツタヤによってジャンプコミックスを10冊買って帰った。「ふつうの軽音部」はジャンププラスで何度も読み返しているが単行本でも何度か読んだし、またおまけ漫画や読者からの質問コーナーなども面白く、盛りだくさんだった。


昨日は西尾幹二さんの訃報に接した。先日は福田和也さんが亡くなったとの報もあり、右派の論客として活躍された方々が亡くなっていくのは大変残念な感じがする。西尾さんは89歳ということで昭和10年生まれ。死因は老衰ということだから安らかな死であったのだろうか。

西尾さんは「新しい教科書をつくる会」の初代会長で、「国民の歴史」という800ページ弱の大著を著し、私自身はほぼこの一冊しか読んでいないので彼の人となりの全体像を知っているわけではない。あとは小林よしのりさんの「ゴーマニズム宣言」で描写されていた内容くらいだろうか。ドイツ哲学的な教養を持ち、独自の見解を持っておられた方で、その辺りがつくる会の中心的な存在だった藤岡さんや小林さんとも最終的に袂を分つことにつながったのかなと思うのだが、当時としては私なりに納得できた内容だったように記憶している。

今読めばおそらく違う感想も出てくるのだが、右派にしろ左派にしろ深い教養に裏付けられた思想や見解よりもその場しのぎの言葉のバトルみたいな議論になってしまっている現在では、彼らの存在が懐かしく感じられる。江藤淳、石原慎太郎、渡部昇一、福田和也といった人たちは発言や見解にそれぞれ違いはあっても自分としては受け入れられる部分は結構多かった。西尾さんは私が西洋史専攻ということもあって論述している内容が自分のフィールドに近いということもあり、「そんなに特別新しいことを言っている」という印象を受けてはいないのだが、今読むとおそらくは違う印象があるのではないかと思う。

最近思うのは、一昔前だったら皆当たり前のように共産主義国家の内実はナチスと同じような全体主義的性格の強い社会だったと皆が理解していたのに、ソ連崩壊から30年以上経ってしまって、ベルリンの壁崩壊の熱気などを知らない世代が多くなってくると、左派の肯定的な議論を読んでソ連より安倍政権の方がひどい、みたいな感覚を持つ人が生まれてきているのではないかという感じがすることである。これは、大東亜戦争の記憶については「語り伝える」という活動が続けられているために大抵の人は戦争に否定的な印象を持っているのと好対象で、しかし戦争のリアルを知らない世代の語り伝えなどというのは観念的なものに過ぎないわけで、なかなか人類がさまざまな出来事から「教訓を得る」というのは難しいことだなと思う。


国民民主党の玉木代表がいう103万円の壁を178万円まで引き上げるという話、財務省が早速否定にかかっているけど、財務省としては課税対象を縮小する、つまり「課税機会の損失」ということ自体が受け入れられないのだろうとは思うけれども、結果的に税収が増えるという可能性もあるよなとなんとなく考えていた。

今既に103万円から178万円の間の人は払った分が返ってくるし、今103万円の人が178万円まで仕事をしたら払わないのは同じだから、基本的に減るのは現在103万~178万の人たちの税収分で、その層を増やすために限度額を上げれば可処分所得が増えるのでそれは消費に回されて消費税分で取れることになる。

だから今この金額の人がどれくらいいて、これから増えそうな人がどれくらいいるかの差の問題ということだと思う。「103万円の壁」が問題になっているということは現実にはそのライン以上働くのをやめている人が相当数いるということだと思うので、税収が減った分くらいは消費税で増えるのではないか。大雑把な勘定に過ぎないが。

また、現在は労働者の数が足りない、人手不足が問題になっているわけだから、就労者数が増えてそう就業時間数が増えれば人手不足もかなり解消するだろうし、一石何鳥にもなるのではないだろうか。

今103万円の年収の人が178万円稼ぐようになるということは75万円収入が増えるということで、時給二千円と考えても年間で一人当たり375時間労働時間が増えることになる。月当たり12.5時間、週あたり3時間くらいか。実際には平均2000円より安いだろうから時間数はもっと増えるから週に半日分の労働時間増ということになるかと思う。それが100万人単位で増えればかなりの人手不足解消になるのではないか。

教育現場でも非正規化が進んでいるので、小学校の非常勤の先生が103万円を超えないように仕事を断ることはかなりあるようだから、現場の教員のやりくりもかなり楽になる可能性はある。良いことしかないように思えるのだが。私は支持したいと思う。


日本シリーズでセリーグ3位のDeNAがシリーズ制覇に王手をかけたが、DeNAはシーズンの勝ち越しが2つだけで、それが日本一になっていいのかという点で物議が醸されているようだ。

これは12球団しかないのにそのうち6球団がポストシーズンに出場機会があるという矛盾からきているわけで、消化試合をなるべく少なくして観客動員に貢献するという点では意味があるが、レギュラーシーズンの意味が軽くなってしまうという問題があるだろう。

米大リーグの場合は30球団あり、そのうちポストシーズンにでられるのは各リーグの地区優勝3チームとワイルドカード(優勝チーム以外での勝率の上位から)3チーム、両リーグ合計12チームとなり、全球団のうち出場できるのは4割ということになる。大谷は大リーグ7年目だが今まで一度もポストシーズンに出場経験がなかったのは、上位4割に入ることの難しさを示しているわけである。

そしてワイルドカードシリーズ(地区優勝チームのうちの最低勝率のチームとワイルドカード3チーム)による1回戦の後、残りの地区優勝チームとワイルドカードシリーズ勝ち残りの2チームによるディヴィジョンシリーズがあり、それぞれの勝者がリーグ優勝を賭けてリーグチャンピオンシップシリーズに出て、そこでリーグ優勝が決まる、という仕組みになっているわけである。

日本の場合はリーグ優勝の巨人が日本シリーズに出場できないなどの不合理はあるが、アメリカにはそれはない。

パリーグは昔から色々な試みをしていて、前期優勝と後期優勝、その2チームのプレーオフというシステムの時代があって、私が後楽園球場に通った1981年は後期優勝の日本ハムファイターズがプレーオフでロッテを破って日本シリーズに出場した。これならどちらも半期優勝チームなので対等だからプレーオフ5試合も両方の球場で行われ、その時に川崎球場に初めて行ったことを思い出す。ただ前後期制は前期優勝が決まるのがオールスター前でやはりなんとなく盛り上がらないという弱点があった。またシーズ通して好調なチームがあった場合は両方とも同じチームになるからプレーオフはない、ということにもなる。それはそれで難しいところはあった。

日本が12チームでプレーオフを行うということ自体に設計上の無理はあるんだろうと思うのだけど、より野球が面白くなる仕組みを考え出してもらえるといいなあとは思っている。

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kous37
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