見えぬ子どもたちからの悲鳴を聞き漏らさない為にも・こころ穏やかな日常をこころがけなくては💙
行き帰り約四時間ほど電車に揺られているから、つい長文ごめんなさい!スルーしてください。
ひとが生命を授かり、生かされているじかんは限られている。
忘れてならないのは、自ら作り出した「生命」ではないということだろうか?
私利私欲・権力の履き違え・傲慢さ・他者の見下し・金金金への飽くなき執着・・・
人相見ではないのに、嫌いな人相の有名人をひと目見ただけで「嫌いだな!」そんなひとたちが、不思議なほど悉く事件を起こし、世間を騒がせている。
決して営業マンとして、優れた営業力がある訳でもなく
誰でも良いから「契約さえしてくれるなら」そんなすばしこさも無く、約半世紀近く「接客営業マン」としてやってこられたのは、偏に「ひと違い」をしてこなかったからだろう!想う。
幼くして子ども三人の親権を分け合いながらも、その後見事なくらい放棄して「旅びと」として、自由気ままに生きた両親。
もしも、そのふたりに感謝することは無いか?
問われたならば、この「生命」と、そしてわたしは「人間観察力」だろうか。
そのふたつならば、だれにも見せびらかさずに、胸の奥にじっと持ち続けられる。
この世で最後となった実母との再会の時、わたしはまだ東京に出て数年しか経っていなかった。
そのわたしに「今からでも大学で勉強したければ、学費なら出せるよ!〜」言った。
その時母は、札幌で実母と弟三人暮らしをしていた。わたしには祖母と叔父の関係だ。
叔父は税務署職員で、生涯ふたつの大学を出ている。
出産間近だったわたしの姉が、その母が言ったことばを途中で遮り、わたしが高校から養親の家を出て、住み込みで働きながら、自力と奨学資金だけの「ガリ勉勤労学生」で教育大を出ているよ!言うと、えっ?と驚きそれなら「どうして教員にならなかったの?」聞いた。
母はH大を出て、小学校教員になった。
大学ランクなら、母が北海道で一番、わたしは下に違いない!わたしがそこを選んだのは、高校のある市内に国立がそこしかなかったからで、勤労学生を続ける🟰生きることだった。
なぜ教師にならなかったか?
そんなことは答えるまでもない!離婚するために簡単に公職教師を辞し、当時未だヨチヨチ歩きの妹だけ親権を持ちながらも、離婚成立後すぐに赤の他人に養女に出した母親が、産みの母親でそのDNA半分持つ子どもだ。
⬆️それに近いことをわたしは敢えて答え、その先は殆ど会話をしなかった。
さすがに母は黙った。
わたしは、母親だから産みの親だからという,ただそれだけで、無条件に「愛❤️」を連想したりはしない。
その裏付けも、高齢者男子になるまでの接客営業マン歴で、たくさんの「ページを重ね持って」来た。わたしは 生きた教本の中にある1ページとして、両親を一生涯忘れない。
そして、その長男として生を受けたじぶんのことを「それほどでもない人間」その自覚は一生ものだ!
所詮「本当の愛❤️を持たずに世に出たひとたち」のことばなんて、顔を見ればその「深さ・浅さ」は、凡そ分かるというものだ・・・。人相観?(そんな言い方無いか?)
実の「姉」と「妹」は、或る時期から信仰を持った。
人生をひとに語れば、その不運な生い立ちに、近付き同情することが重なるから、つい導かれる。
それは致し方ない。
そのふたりの今を知るわたしが、敢えて信仰を語るまでもない。
じゃあわたしは?
産みの親にさえ・育ての親にさえも「愛❤️」を感じられず世に出た人生を、何かに?誰かに?支えを求めたりはしない。
もちろん、思想的な偏りとも無縁だ。
とにかく、我が人生は「我が子に愛❤️を注ぐ」それ以外のことは、ほぼオプションだ!
その為に「しごとを選んだ」し「趣味は子育て」で生きて来た。
でも「卒業宣言」しちゃったからなぁー💙
なのに背中のアンテナが、ひたすら「悲鳴を拾おう」として、躍起になっている!
本気で広範囲に躍起になっているなぁーわたしのアンテナ📡
2025年・この変わり者高齢者男子は、どこに向かって歩いてゆくのだろう・・・どなたか止めてください💘驚きの1651文字 よせばいいのに🩵