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ばっぱ、私、生きてるよ。

こんばんは。
みんと改め、福まゆです。

妊活以外のことも書いていきたいと思い、ホームを色々と改装してみました。慣れない作業でちょっと疲れた。夕方に夕飯の準備しておいて良かった。今夜は魚の西京焼きです。あとは白菜の漬物とキャベツと豚肉の煮物です。

さて、今日は私の大好きな今は亡き祖母(ばっぱと呼んでました)のお話。ばっぱはひとり娘でした。成績優秀で教師になるのが夢だったと聞いています。親(私の曽祖父母)からはとても大事に育てられ、修学旅行にも「危ないから」という理由で行かせてもらえなかったとか。

大きく、歴史のある農家のひとり娘。当然、教師になる夢は叶わず、お嫁には行けず、家業を継ぐため親が結婚相手(婿養子)を探してきたという。でも、ばっぱの自分の意志は強かった。「自分の好きな人を婿養子に選ぶ」。ちょっと離れた地区に住んでいたじいじに恋をしていたのだ。めでたく、じいじを婿養子に迎えて、結婚。4人の子供に恵まれた。

でもね。ばっぱの人生は壮絶なものだった。じいじは酒癖が悪く、度々ばっぱに手をあげていたそう。耐え続けた強いばっぱも更年期と共に崩れた。

「死んじゃう!死んでしまう!」と突然叫び出し、長男(私の父)が病院へ運ぶ。内科や神経科に通院後、入院も経験した。

そんな事、ずっと知らなかった私。20歳くらいの時か、父から今書いてきたことを聞かされた。ショックだった。ばっぱがそんな苦労をしていたなんて。でも、なんとなくすんなり受け入れられた。それには理由があった。

私の両親は共働きだったので、ばっぱやじいじに保育園の送迎やご飯など、身の回りの世話をしてもらった。いつも笑顔で、優しかった。でも歳をとってもじいじの酒癖の悪さは直らず、夕飯時、晩酌をしている隣の部屋からじいじの怒号とそれに笑って耐えるばっぱの声が聞こえていたからだ。


それから数年後。今度は学校や家庭で受けたストレスから私が精神のバランスを崩した。引きこもる私に生前のばっぱはいつもこう言ってくれた。


なんとかなっぺや!


私が生まれ育った地域の言葉で、「まあ、なんとかなるよ、大丈夫」という意味。私はこの言葉に何度も救われてきた。何度も、何度も。

統合失調症の症状で、頭の中が考え事でいっぱいになってパニックになる。将来も心配だ。でも、その度に天国からこの言葉が聞こえてくるんです。

まゆや、なんとかなっぺや!少し昼寝でもしたらいいよ。
チョコレートでも食べて。


ばっぱ。
ありがとう。
私は今この瞬間も生きてるよ。
生きてる。

なんとかなっぺや!

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