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手術後のメンタル

この記事の続きです

手術が終わり、色々な声が聞こえる。
申し送りとかをしているのだろうか?
まだ視界は少しぼやけていて、なんとなく見覚えのある人は区別つく様になってきた。

ベッドごと運ばれ、手術室前の廊下を渡り、手術控え室の自動ドアが開くと、両親が見えた。
父は「よく頑張ったな。膀胱とか切ってるから、痛いけど大丈夫だからな」と声をかけてくれた。
母は「頑張ったね」と声をかけた後、私の顔を見て泣いて言葉にならない様子だった。
「ありがとう」と両親に伝えたあとに

「ここからもう退院までは、会えません。失礼します」
と看護師さんは両親に告げ、私を乗せたベッドと一緒にエレベーターへ移動した。

ガタガタ揺れながら、私は廊下の電気を見てた。
意識を自分にむけると、
手に何かついてる。
口にも何かついてる。
確認したら、酸素飽和度と酸素マスクだった。

病室に入り、看護師さんから
「頑張ったね。これナースコールだから何かあったら押してくださいね」
と私の手の中にナースコールを持ってきた。
「痛かったら痛み止めもあるから、我慢しないで下さいね」と言い病室から出ていった。

この痛み以上に痛くなったら、ナースコール使おうと思った。
次の日腰など痛みがあれば、マッサージにも来てくれるらしい。

看護師さんがいなくなると、私は天井をみた。
腰がだるい。痛い。
この天井いつまで見ておけばいいんだろう。
おじいちゃん、おばあちゃんは入院している時、この天井を見て何を考えていたのかな。
だるいから身体を動かしたいけど、いい体勢が見つからない。
酸素マスク苦しい。

あれ?

怖い。
動悸がする。

息が苦しい。
怖い。
声をあげたくなる。

私はたまらずナースコールを押した。
怖くて怖くてたまらない。
息が苦しい。

看護師さんに
「手を握って下さい。リクライニング少し上げて下さい」
とお願いした。
看護師さんは戸惑った様子で私の手を握ってくれた。私は深呼吸をして
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
と伝えた。
看護師さんは
「そうですか」
と出ていった。

しばらくすると、また同じ様に苦しくて怖くなる。
またナースコールを押し、看護師さんに
「手を握って背中をさすって下さい」
とお願いした。
さっき来てくれた人と違う看護師さんが来てくれた。
看護師さんは「大丈夫ですか?」
と手を握り、背中をさすってくれた。
「お薬ほしいです」
怖くて堪らないので、私は抗うつ剤と抗不安薬を飲ませて欲しい。と頼んだ。前日の夜から飲んでいない。
しかし、今は薬が飲めないらしい。

私は泣きながら
「頑張ってたんです」
と看護師さんに話した。
「何をですか?」
と看護師さんは私に聞いた。

実は、私は血尿が出た時期に、就活をしていた。
リワークに通い、メンタルクリニックの先生も大喜びしていた。3ヶ月前はこんな事になるとは思いもしなかった。

「頑張ってたんですー私ねまた頑張ってたんです」
と看護師さんに泣きながら言ったけど、看護師さんからするとなんのこっちゃ分からない。

しばらくすると落ち着き、
看護師さんが、先生にお薬の事を相談してみます。と言い、出ていった。
申し訳なさでいっぱいだった。そしてありがとう。

看護師さんが手を握り、背中をさすって話を聞いてくれたおかげでメンタルは保たれた。

話は変わるけども、次の入院で私は、その看護師さんに
「ありがとうございます。あれがなかったら私耐えれなかったです」
とお礼をつたえると、看護師さんはビックリしてた。
どうやら、せん妄だと思っていたらしい。
「覚えてたんですか?顔とか分かってたんですか?」とびっくりしていた。

めっちゃ覚えてます。かなりのピンチでした。

話を戻しまして、
少し時間は経ち、条件つきで服薬を許可された。
お腹も動いていて、少しの水で飲むこと。

私は薬を飲み落ち着き、薬のおかげて眠くなって少し寝ることが出来た。

次の日の朝、朝担当の看護師さんが私の熱を測りにきた。
私を見るなり
「昨日大変でしたね」
と、クスッと笑った。
悪気は無いかもしれない、でもショックだ。
恥ずかしい。
笑顔で棘を刺さないでよ。
私は少しイラっとしてしまった。
ちょっと落ち込む。

しかし、疲労と痛みでダメージをうけた身体と
ボロボロのメンタルで極限の状態だった私に、
謎のスイッチが入った。

もー!がんばる!めっちゃがんばる!
この後ガンガン歩いて、ご飯だって食べる!
もー泣かない、もー泣かん!
頑張るっ!頑張ったる!頑張るっちゅーねん!!

ボロボロになった私は、謎の関西弁と、変なギアが入った。

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